今では余り聞かなくなりましたが,日本では昔から暑い夏の時期には花火のように怪談が付き物でした。そんな怪談に関して落語家の三遊亭圓朝(1839−1900/図1)が深く関わっていました。今回は発明や特許には直接関係ありませんが,創造力の世界で大いに才能を発揮していた圓朝の話題です。暑い夏にそんな世界を巡りながら創造力の源を想像するのも良いかも知れません。

著者:三遊亭圓朝 演述,若林玵蔵 筆記 明治18年5月出版
(国立国会図書館デジタルコレクションより)
圓朝は,二代目三遊亭圓生(1806−1862)門下にいた初代橘屋圓太郎(?−1871/後の初代圓橘)の子として,1839(天保10)年に湯島で生まれています。本名は出淵(いずぶち)次郎吉で,既に7歳の時には初代橘屋小圓太の名で江戸橋の寄席にデビューしていました。翌年からは父の師匠でもある二代目圓生の元で修行し,10歳で二つ目に昇進しています。しかし,父は途方もない遊び人で,家を顧みずに博打に,吉原に…,といった挙句に再婚しています。義母とその長男で9歳上の義兄は当初,次郎吉が落語家になることに反対し,画工や商画の奉公をさせ,1851(嘉永4)年には歌川国芳(1798−1861)の内弟子として浮世絵画家の修業をさせていました。後に,義兄が務める寺に引き取られるのですが,父の血筋か落語への想いは断ち切れず,寺の本尊を相手に落語の稽古を始めるのです。座禅を続ける一方で,17歳の時に先代三遊亭圓生の墓前で三遊派再興を誓っていました。
この続きをお読みになりたい方は
読者の方はログインしてください。読者でない方はこちらのフォームから登録を行ってください。



