ひかり号を超えるもの

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子供の頃,僕は父の勤める企業の東京の社宅に住んでいた。そこには,全国様々な地方出身の家族が住んでいた。北海道に帰省する我が家は飛行機を利用していて,友達からは随分と羨ましがられていた。でも,僕は飛行機に乗るのが怖くて,本当は嫌だったのだ。僕からすれば,新幹線で帰省する関西の子供達が羨ましくて仕方がなかった。その頃の子供達にとって新幹線は憧れの乗り物だったのだ。

もちろん,「最速の鉄道」と言うこともあるが,僕には「ビュッフェ」という物の存在が大いに気にかかっていた。新幹線にはビュッフェという簡単な食堂があって,カレーライスが美味しいのだという。そんな自慢話を聞いて,僕は「ビュッフェのカレーライス」ってどんなに素晴らしいものなのだろうかと妄想を膨らませていたのである。

開業当時,東海道新幹線は「ひかり号」と「こだま号」のみの運行だった。フラッグシップの「ひかり」は東京,名古屋,京都,新大阪のみに停車し,「こだま」は各駅停車である。もちろん子供達にとっては「ひかり」こそが新幹線の代名詞だった。後年,僕が就職して新幹線を頻繁に利用するようになった頃も,東海道新幹線は「ひかり」と「こだま」のみの設定だった。まだ0系という古い形が残っていて,トンネルに入ると風圧でベコっという音とともに車体がへこみ,耳がツンとした。その頃には「ひかり号」の停車する駅は開業当時に比べて増えていて,別格だった存在感は少しだけ薄れていた。

ところで,ビュッフェのカレーライス。大人になって初めて食べたそれは,子供の頃に妄想していた夢のような食べ物ではなく,普通に美味しいカレーライスだった。まあ,ビールも一緒だから,申し分の無いひとときであったことは確かだ。だからビュッフェが無くなってしまったことは,大変残念なことである。

そうこうするうちに,スピードアップした新車両の投入と同時に,停車する駅を再び限定する設定の構想が湧き上がった。このとき僕は考えたのである。新しい運行便は何と命名されるのかと。言うまでもなく,「ひかり」は光,「こだま」(木霊)は音に由来する。本来,その速度の違いが7桁もあることは,ここでは気にしない。いずれにしても,この世で最速の光を冠した「ひかり」こそは,フラッグシップに相応しい名前であった。その「ひかり」を超えるとなると,命名は大変悩ましい。

光を超える速さと言う意味では,架空の粒子「タキオン(超光速粒子)」がある。JRの列車の命名は大和言葉とういう限定から,「超ひかり」なんていうのも考えられるが,なんだか風情が無い。速度は同じでも停車する駅が少ないということを相互作用が少ないということにすれば,光速で進み,物質との相互作用が少ないニュートリノを日本語にして「中性微子号」というのはどうだろう。

いやいや,とても大和言葉とは感じられない代物だ。うーん,困ったことになるぞと,僕は随分気を揉んでいたのである。結局,決まった名前は「のぞみ」だった。物理の筋を外し,想像の筋に命名を持ち込んだのである。想像の中であれば光の速度も簡単に超えられるから,これは実に巧妙な命名であった。

こうして,東海道新幹線のフラッグシップはスピードにおいても本数においても「のぞみ」のものとなった。いまや「ひかり」はスターではない地味な存在となってしまった。今後,東海道新幹線はさらに進化していくのだろう。そして,「のぞみ」を超える新しい存在が出現するかもしれない。でも,僕にとっては,森羅万象に由来する「ひかり」こそが最速を表現する最も美しい言葉であり,今だって「ひかり」に乗ることは結構うきうきすることなのである。

(月刊OPTRONICS 2014年11月号掲載)

このコラムについて:光技術者として日々の研究にいそしむ著者が,これまでの経験や日常を通じて感じる光に関するあれこれを,肩ひじ張らずに綴ります。

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