東京大学と理化学研究所は、反強磁性体Mn3Snを用い、40ピコ秒という極めて短い電気パルスによって磁気状態をスイッチングできることを示した(ニュースリリース)。

生成AIや大規模機械学習の普及により、コンピュータでは演算そのものだけでなく、演算器とメモリ間のデータ移動に伴う消費電力が大きな課題となっている。従来のスイッチング素子では、高速化すると消費エネルギーが増え、ナノ秒より速い領域での動作は発熱や素子劣化の面で困難とされてきた。
研究グループは、次世代量子スピントロニクス材料として注目されるMn3Snに着目した。Mn3Snは自発磁化がほぼゼロであるにもかかわらず、室温で大きな異常ホール効果を示し、ピコ秒級のスピンダイナミクスを持つことが知られている。今回、Mn3Snと重金属Taからなるヘテロ薄膜をシリコン基板上に形成し、ホールバー素子として微細加工した。
実験では、1.55µm帯の通信波長レーザーと高速光電変換器である単一走行キャリアフォトダイオード(UTC-PD)を用い、60ピコ秒の光電流パルスを生成。この光電流パルスによって反強磁性状態のスイッチングを実証し、250回の繰り返しでエラーのないスイッチングを確認した。これは、通信波長帯の光信号を電気信号に変換し、そのまま不揮発メモリへの書き込みにつなげる「スピントロニクス光電変換」の基礎実証に相当する。

【B】ホール電圧の光電流スイッチング振幅に対するヒストグラム。
また、超高速電気パルス発生器を用いた実験では、最短40ピコ秒でのスイッチングを確認した。Mn3Sn層の厚みに対する臨界電流密度の依存性を調べたところ、実験結果はスピントルクに基づく理論曲線とよく一致し、40ピコ秒動作が熱的機構ではなく、スピン軌道トルクによる非熱的な機構に由来することを示した。

【B】Mn3Sn層の厚さ依存性におけるパルス幅40psの臨界電流密度。破線はスピントルクに基づく理論曲線を示す。
さらに、パルス幅を40ピコ秒から500ミリ秒まで変化させて調べた結果、数十ピコ秒の超高速領域では、臨界電流密度がパルス幅の逆数にほぼ線形に依存することが分かった。この領域での傾きは、従来の強磁性体を用いた素子に比べて数桁小さく、Mn3Snの磁気多極子に対するスピントルクによる角運動量移行が高効率であることを示している。

10nm厚のMn3Sn層と5nm厚のTa層からなる素子では、40ピコ秒駆動時のエネルギー密度を約1.7pJ/µm2、パワー密度を約0.04W/µm2と見積もった。30nm×30nm×10nmの1ビット素子に換算すると、消費エネルギーは1fJ程度になるという。また、ピコ秒パルスで1011回以上のスイッチング動作を実証し、相変化やフィラメント形成を用いた従来のピコ秒スイッチング機構よりも数桁高い耐久性を示した。
今回の成果は、反強磁性体スイッチング素子がピコ秒領域で「低パワー密度・高耐久・不揮発」を同時に満たす可能性を示すものだという。今後、外部磁場を必要としないピコ秒級動作の実現や、回路・実装条件の最適化を進めることで、データセンターI/Oを含む省エネルギー情報処理技術への応用が期待されるとしている。



