月刊OPTRONICS 特集序文公開

量子インターネット実現に向けた量子鍵配送ネットワークの課題

著者:(国研)情報通信研究機構 藤原幹生

1.量子インターネットの定義

遠隔地に情報理論的安全な乱数を共有できる技術である量子鍵配送では,最も有名なプロトコルが1984年に発表され,それに続く形で様々な量子鍵配送プロトコルが提案されてきた。それらのプロトコルの多くでは,安全性証明の根底に量子もつれの特性が用いられている。そう言った観点からも量子鍵配送も量子インターネット(Quantum Internet)の一翼を担うものと考えられる。実際量子インターネットを目指し,量子鍵配送機能も含むネットワーク環境が世界で整備され,また純然たる量子状の中継に特化したと思われるテストベッドも存在し,その研究・評価対象は様々である。通常のインターネットの文脈から量子インターネットを,量子計算機同士を結び付けるものと狭義に定義してしまうと,実現性を見通せない。量子状態は壊れやすく脆い状態であるため,伝送環境に伝送効率が強く依存し,損失耐性の具備が必須であること,誤りの混入への対策としての誤り訂正技術の実現の難しさ等の事情から,現在の技術レベルでは,実現までの道のりは極めて厳しく,社会実装までのロードマップを高いビジビリティをもって語ることができる段階とは言い難い。一方,量子鍵配送を含み,さらには量子操作を必要とする単一イオン光時計,光格子時計を取り込んだネットワーク,量子状態での伝送を極力利用したネットワークと量子インターネットを広く定義するならば,研究課題と逐次的な社会実装へのアプローチが判り易く整理できる。

我々は総務省直轄委託研究「量子インターネット実現に向けた要素技術の研究開発」の中では,量子状態の伝送が可能で,伝送時の損失や誤りが発生しても量子ならではの機能を実現できるものを量子インターネットと定義し,量子技術特有の機能の実現を目指している。

当該研究プロジェクトにおいて,量子メモリの開発も包括的に進めている。保存時間,書き込み・読み出しの高効率化・高フィデリティ化を目指し,様々な方式での性能向上に向けた研究開発が進められている。それぞれの方式にメリットデメリットがあり,量子通信において,それぞれの量子メモリをどの機能に活用すべきか,各方式の利点の検討を進め,用途により適材適所が容易に選ぶことを可能とするレシピ作りを進めている。

さらに当該研究プロジェクトでは量子鍵配送の距離の伸長を可能とする技術と,高精度同期技術の開発も進めている。量子鍵配送プロトコルが内包する誤りと損失への耐性を利用し,また量子インターネット技術で実現できる高精度位相同期技術を組み合わせることで量子鍵配送の距離の伸長が可能となる。高精度同期技術に関しては,また国際度量衡総会(CGPM)では2026年に秒の再定義の方式候補を決め,2030年に秒の再定義が実施されることが告知されている。単一光イオン時計は秒の再定義の候補の一つともなっており,量子メモリへの拡張も容易である。

時計の高精度同期を多地点で実施できれば,次世代の通信インフラとしても極めて有望である。現在我々の時刻同期にはGlobal Navigation Satellite System(GNSS)とりわけGlobal Positioning System(GPS)が広く利用されているが,米国という友好国が運用しているとは言え,他国の通信インフラであることに変わりなく,安全保障の観点からも自立した時空間情報提供技術の整備が望ましい。また,次世代の通信インフラBeyond 5G(B5G)の通信では100nsを切るレベルの時刻同期精度が必要とされている。それに対し,光イオン時計はその精度を比較的安価なコストで実現できる可能性がある。光格子時計は10-18レベルの安定度を有しているとされ,様々な実験に成功し,市販もされている。しかしながら価格は1台5億円であることに加え,長時間の安定動作には課題が残る。そのため,光イオン時計を各地に設置し,それぞれの時計の高精度同期を実現できれば,極めて高精度な時空間情報を提供できる情報インフラと成り得る。

また,情報通信の観点から考えると,時空間情報をそのままの形で提供しても詐称させる危険性があり,安全な情報提供には暗号化などの工夫が必要である。また,GPSでは暗号を破ることなく時空間情報を狂わせ,サービスの誤動作を乗じさせるという攻撃が実施されている。これは移動体等が有するGPSレシーバーにGPS信号そのものを高出力かつ時間差を加えて受信させることで,実際とは異なる地点にいると信じ込ませるというものである。GPSのように広域サービスを前提とし,情報媒体にRadio Frequency(RF)を利用した場合ではこのような攻撃をされ易い。一方,GPS等で実施されている時空間情報の提供を地上の光空間通信で実施した場合を考える。高速道路沿いなど,限られた場所での応用を想定した場合,前述の攻撃は極めて困難となると想像される。何故なら,限られた領域で射出される複数の直進性の高い空間光通信端末を同時に詐称しない限り成立しない。さらには夜間などでは月の位置も自らの位置情報をある程度確認することができるため,近距離ドローンなど空間光通信が整備された環境では安全な時空間情報の提供が可能となる。また情報の暗号化に関しても,前出の量子インターネット技術による光イオン時計の同期技術は,量子インターネットの最も重要な機能の一つである量子鍵配送の高度化にも貢献でき,量子鍵配送の鍵の利用も容易となることが想定できる。

量子鍵配送で共有される鍵は暗号化のみならず,相手認証やデータの完全性の確認のためにも利用できる。量子インターネットで実現される時刻や光源のクロック同期や位相同期が高精度に実現でき,高効率での量子もつれスワッピングやTwin-Field-QKD(TF-QKD)による長距離QKDの実現が容易となる。また,高いコヒーレンスをもつ光源が容易に準備できる場合,コヒーレント通信の高度化やContinuous Variable QKD(CV-QKD)の実装にも恩恵をもたらす。デジタルコヒーレント技術は高速光通信で用いられており,CV-QKDを実現する際もデジタルコヒーレント技術を用いるケースもある一方,デジタル処理時の電力消費量の増大が懸念される。従来のLocal Oscillator(LO)の位相ロックを用いたコヒーレント通信も利用が容易となり,通信やQKDの実装方法に,選択肢が増えることになりえる。GPSの精度を超えた高精度な時刻同期を兼ね備えた高いコヒーレンスを持った光ファイバ網は量子インターネット技術を用いて初めて実現できる。また量子インターネットが機能的に内包している量子鍵配送機能を用いることで,情報の暗号化,安全な通信の実現にも大いに貢献できる。しかしながら現在の“信頼できるノード”を基本とした量子鍵配送網が量子インターネットに置き換わるとの主張はおそらく正しくない。何故なら情報自身,さらにはそれを利用する人間は古典的な存在であり,データの伝送だけではなく,長期保管,利用までの機能を安定して供給することで,初めて通信インフラとして成立すると考え得るためである。言い換えると,古典情報通信へ如何に貢献するか,量子鍵配送,量子インターネット技術が従来の通信技術と融合し,新しい機能を発揮できるかが,当該技術が情報インフラと成り得るかの分水嶺となる。次節において,融合技術の例を示す。

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