─伝統芸能は制約も厳しいイメージがりますが,新しい表現に抵抗はなかったのでしょうか?
このプロジェクトは舞台映像の製作や映画監督などをやられている奥秀太郎さんが,観世流の若手・坂口貴信さんと始められたものですが,この坂口さんがとにかく「やってみましょう」といろんなアイディアを取り入れてくれました。観世流の家元の方も同じで,気さくに「やってみれば」とおっしゃってくれました。ベネチアでの舞台には川口晃平さんが参加してくださいましたが,そのときに伺ったのは,能の世界には新しい演出はとにかくやってみないとわからない,という価値観もあるとのことで,伝統と格式に縛られて型通りにやらなければいけないものではない,ということを教わりました。
─舞台システムの構成を教えてください
遠赤外線カメラはビジョンセンシングさんの「VIM640G2U」という小型の機種で,演者さんの認識はこれ一台だけでやっています。遠赤外線カメラの映像からの人物抽出はソフトウェア的にやっていますが,基本的には差分抽出という非常にシンプルなアルゴリズムをメインに使っています。シンプルであるが故に,条件の変化に対してロバストに使えます。
プロジェクターは,ベネチアの時には4台使いました。2台が背景映像で,もう2台が能楽師の動きに合わせた映像効果専用です。ともに,立体映像を出すために円偏光フィルタを付けています。
立体映像というと,眼前に映像が飛び出てくる効果を想像される方も多いかもしれませんが,「3D能」ではそうした映像表現はほとんどありません。能はもともと屋外で行なわれていたもので,約6m四方にしか過ぎない舞台の向こうに松林や海が広がっているものでした。今,一般的な能舞台には奥に松の絵が描かれた「鏡板」がありますが,本来はその向こうに広大な空間があり,それを代替するものなのです。ですので映像でも奥行き方向を重視しています。
これは謡曲,熊野(ゆや)の一シーンです。京都の街並みが舞台の向こうに広がっていて,彼女は今,牛車の中で揺られながら街並みを見ているという情景です。あくまでも舞台は牛車の中で,奥に街並みがあるというしつらえです。唯一,桜が散る時に花びらがふわーっとこちらに飛んでくる表現に,手前側に映像を飛び出させる使い方をしています。伝統的なやり方では紙の花びらすら撒きませんが,通の観客にはここは桜の場面なのだと分かるわけです。
─舞台とプレゼンテーションとの共通点は何でしょうか?
能ではお客さんに映像を見せ,プレゼンテーションでは聴衆にスライドを見せるのですが,どちらもパフォーマーと観客がいて,その間をコンピューターが仲立ちするという関係は共通しています。
僕自身は,プレゼンテーションも演劇の範疇に入ると思っています。パフォーマーが観客の呼吸を見ながらパフォーマンスを最大化していく時,どこを見て何を考えているのか,それをサイエンスとして追いかけたいと思っています。