1970年代のストリークカメラ開発から始まった同社のレーザー核融合との縁。大阪大学レーザー科学研究所との共同研究,200–300J級・10Hz動作を実証した近年の進展,そして2028年~2040年を見据えたロードマップまで。産学連携や海外動向も交え,レーザー核融合の今とこれからを聞いた。
-浜松ホトニクスのレーザー核融合R&Dの歴史とは
最初の関わりは1970年代まで遡ります。大阪大学レーザー核融合研究センター(現・レーザー科学研究所)を設立する以前の山中千代衛先生から,海外製ストリークカメラの修理相談が持ち込まれたのが端緒でした。結果的に修理は叶いませんでしたが,「ならば自分たちで作ろう」と真空管式のストリーク管によるストリークカメラを独自に開発しました。プラズマ発生時の高速現象の観測などに使われ,時間分解能もフェムト秒領域まで,波長域もX線まで拡張しました。現在も製品としてラインナップされており,前述の阪大レーザー研はもちろん,兵庫県の播磨科学公園都市内にある理化学研究所 X線自由電子レーザー施設「SACLA」などでも活躍しています。
その後1990年代に入り,高出力半導体レーザー発振の成功をきっかけに,当時の中井貞雄先生(大阪大学)と当社の晝馬社長(当時)との出会いから,将来の発電所では「半導体レーザーで固体レーザーを励起するドライバーが必要になる」,つまり大量の半導体レーザーが必須になるというお話をいただきました。そこから大阪大学レーザー研との共同研究が始まりました。
1997年に当社からレーザー核融合研究センターに2名が派遣されました。その1人が私です。以後10年以上,発電炉用レーザードライバーの研究開発に従事しました。数年後には派遣人員を増やしてチームで推進し,ガラスレーザーに半導体励起を適用。熱設計・冷却・光学設計を詰め,当時の最高出力20J・10Hz級を達成して私は浜松に帰社しました。

川嶋 利幸氏

-浜松に戻ってからの開発について教えてください
2007年に当社の産業開発研究所にて研究チーム(後の産業開発研究センター)を立ち上げ,前述の中井貞雄先生が初代学長の光産業創成大学院大学やトヨタ自動車と共同で,小型で繰返し可能なレーザー核融合の実証に着手しました。最初の成果として,1Hz動作で重水素置換プラスチック・ターゲットを真空中に落下させ,落下中にレーザーを命中させて重水素の核融合反応による中性子を連続して発生させました。
2014年,産業開発研究所に新しいレーザー照射棟を建設し,100J〜1kJ級の実験が可能な施設の整備を開始しました。2011年の東日本大震災以降,安全な発電方式への関心の高まりも背景に,100J級レーザーの社内開発プロジェクトが立ち上がり,実験基盤を整えました。
