─これはどういう舞台ですか?
能の舞台にスクリーンを建て,背景映像を円偏光方式の立体映像にしたもので,観客は立体眼鏡をかけて鑑賞します。舞台映像に立体映像を使い始めたのは2015年で,このときは「攻殻機動隊」というアニメーション作品の舞台で立体映像を使いました。この作品では劇中に登場するサイバースペースを3DCGで表現し,舞台上に立体映像として飛び出てくるように見せたり,一部の舞台装置を立体映像で代替するということもやっています。立体映像を使うと奥行き感のある映像が出せるので,舞台を実際よりも広く見せられるメリットもあります。
もっとも,立体映像だと観客の位置によって見え方が変わってしまうし,役者が触れることができないなど色々と問題点があります。映像投影技術が進化すればできることはもっと広がるだろうと思っています。それこそ,OPTRONICSの読者の方々の本領かと思いますので,期待しております(笑)。
─能でも背景で3DCGを使っているのですか?
はい。これは私の仕事ではありませんが,舞台の奥に広がる街並みや大海原,また舞台上に舞い散る桜などを3DCGで作成しています。私が担当した部分では,遠赤外線カメラを使って能楽師の動きをリアルタイムに認識し,その動きに合わせて波しぶきを舞台上に飛ばすシステムを作成ました。
遠赤外線カメラを使った理由は,可視光のカメラだとカメラ映像から背景映像を消して能楽師だけを切り出すのが難しかったためです。ディープラーニングの技術を使ってやれば決してできないことではないのでしょうが,海外に装置を持っていって,劇場での仕込みやリハーサルの時間制約が厳しい中で,能装束を着けた能楽師の動きを確実に認識できるかどうか,自信が持てませんでした。新しい技術や微調整に時間を要するものは,時間と人員に余裕がない現場では怖くて使用に踏み切れなかったですね。
近赤外線を発するアクティブマーカーを能装束や能面に仕込むという選択肢もありますが,伝統芸能で使う装束は貴重で高価なものですから,侵襲的なマーカーを使うのはこちらの方でためらいがありました。
その点遠赤外線カメラを使った我々のシステムは,能楽師の体温を検知して動作しますから,すごく穏当なものです。もちろんカメラが高いとか,舞台上に熱源があると誤動作しかねないといった懸念はありましたが,幸い,いろんな劇場で遠赤外線カメラをテストした結果,近年の舞台は熱雑音が少なく使用に問題ないことがわかりました。
─やってみて反響はどうでしたか?
たいへん面白がっていただけたようです。ダイナミックな映像が多く,また新演出をふんだんに盛り込んだ舞台でしたので,多くの観客が想像していた能とは異なるものではありましたが,新しい表現,新しい舞台として受け止めていただいたようです。
そもそもベネチアには専用の能舞台はないのですが,それでも観客は知識として,能というのは舞台があって屋根があって,というのは知っているわけです。そんな能舞台を3DCGとして舞台上に再現できた,というのは立体映像の利点といえるでしょう。
また,観世流の方からは「3D能」を,能ファンの裾野を広げる,初心者にとっての入り口のひとつとして設計できないかという提案をいただいたことがあります。能を初めて観るような方は,舞台上に何もなく能楽師が身一つで舞うというのが能の醍醐味の一つであるとは頭では分かっていても,やはり慣れがないと感情の方が追いつかない部分があると思います。そこに映像を組み合わせて情報を増やすことで,能に関心を持つ経路の一つを作れないか,ということです。
事情は海外でも同じで,「これが日本の伝統芸能です」とばかりに「秘すれば花」「見立ての文化」をそのまま見せつける以外の方法があってもいいだろうと思います。もちろん,すべての能舞台をこうしましょうというものではありません。ひとつの手段として使える場面もある,ということです。