月刊OPTRONICS 特集序文公開

ナノダイヤモンド量子センサが描く未来予想図

著者:東京科学大学/量子科学技術研究開発機構 五十嵐龍治

1.量子センシング社会実装への序章

量子理論はおよそ100年のあいだに,「自然を説明するための理論」から「自然を精密に測るための道具」へと重心を移してきた。1920年代に確立した量子力学は,離散的なエネルギー準位やスピン,重ね合わせといった概念を与え,測定によって量子状態が読み出せることを明らかにした。やがてNMRやESR,レーザー分光が発展すると,共鳴周波数が外部磁場や温度などの環境に応じて変化することが高精度で測れるようになり,量子状態は「測られる対象」から「測定の基準」へと変わった。1990年代以降,量子は理解や精密測定の対象にとどまらず,その状態を「制御」する対象へと広がった。レーザー冷却やイオントラップ,超伝導回路に代表される技術革新によって,量子を壊さずに操作し,コヒーレンスを工学的に扱う方法が整った。

この流れのなかで,固体中の欠陥スピンという実装性の高い量子系が注目されるようになった。固体中の欠陥スピンとは,結晶の中にある“わずかな不完全さ”(不純物原子や空孔など)が生む局在スピンであり,単一量子系として扱える一方で,半導体プロセスや微細加工と相性がよく,デバイスとして作り込みやすい点が強みとなる。さらに量子準位は磁場・温度・電場や周辺の磁性種に敏感に応答するため,そのシフトや緩和の変化を光やマイクロ波で読み出せば,微小環境を定量する量子センサーへと直結する。こうして,量子準位の「環境に対する鋭敏さ」を計測へ転用する発想が必然となった。

その代表例として,現在最も注目され,社会実装に最も近いとされるのが,ダイヤモンド中の窒素−空孔中心(nitrogen-vacancy center:NVセンター)である。NVセンターは,ダイヤモンド格子中で炭素原子が窒素原子に置換され,その隣に空孔(欠損)が並んだ点欠陥である(図1(a))。

図1 ナノダイヤモンドNV中心とODMRの基本原理。(a)ナノダイヤモンドのTEM像と,ダイヤモンド格子中の窒素-空孔中心(NVセンター)の模式図。(b)ODMR計測の骨格を示す模式図。緑色は緑色光パルス,オレンジ色はマイクロ波(MW)パルス。光による初期化,マイクロ波によるスピン操作・自由時間発展,測定基底への写像(解析パルス)を経て,光(蛍光)で読み出す。提示したパルス列は一例だが,連続波(CW)およびパルス計測(Ramsey/Hahn echo/DD系列など)で共通の流れを示す。(c)NVセンターの準位構造と光学遷移の概略。三重項状態間のスピン遷移(〜2.87 GHz)と,非放射遷移(項間交差)を介したスピン依存蛍光コントラストの生成を模式的に示す。
<図1 ナノダイヤモンドNV中心とODMRの基本原理。(a)ナノダイヤモンドのTEM像と,ダイヤモンド格子中の窒素-空孔中心(NVセンター)の模式図。(b)ODMR計測の骨格を示す模式図。緑色は緑色光パルス,オレンジ色はマイクロ波(MW)パルス。光による初期化,マイクロ波によるスピン操作・自由時間発展,測定基底への写像(解析パルス)を経て,光(蛍光)で読み出す。提示したパルス列は一例だが,連続波(CW)およびパルス計測(Ramsey/Hahn echo/DD系列など)で共通の流れを示す。(c)NVセンターの準位構造と光学遷移の概略。三重項状態間のスピン遷移(〜2.87 GHz)と,非放射遷移(項間交差)を介したスピン依存蛍光コントラストの生成を模式的に示す。>

ここに局在した電子スピンは室温でも比較的長いコヒーレンスを保ち,緑色光で初期化され,マイクロ波で操作され,赤色蛍光として読み出せる1)。このため,スピン共鳴を“光の明るさ”として検出する光検出磁気共鳴(Optically detected magnetic resonance;ODMR)が可能となり,共鳴周波数のシフトや緩和時間の変化を通じて,磁場や温度などの環境変化を定量的に計測できる2)。さらに,ダイヤモンド由来の高い光学安定性(褪色しにくさ)と化学的頑健性は,長時間・繰り返し測定において大きな利点となる。このようにNVセンターは室温で安定に動作し,光による初期化と蛍光読み出しが可能である。これが,量子センシングを実験室の研究対象から,社会で使われるツールへ押し上げる鍵になっている。

本稿では,ダイヤモンドNVセンター,特にナノダイヤモンドをプローブとする量子センサー技術(ナノダイヤモンド量子センサー)が持つ「光で制御・読み出しできる固体量子」と「溶液中で働くナノプローブ」という二つの顔に着目し,その動作原理から応用,課題,将来像までを一望する。特に生命計測・診断における社会実装の可能性に重点を置き,磁場・温度・pH計測に加えて,ウイルスやバイオマーカー検出の代表例を紹介する。さらに,表面スピンや電荷状態安定,標準化といった克服すべき課題を整理し,2028年の超早期診断用ナノダイヤモンド量子センサー量産化を見据えた未来予想図を映し出す。

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