◆武田 俊太郎(タケダ シュンタロウ)
東京大学 大学院工学系研究科 准教授
2014年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了(工学)。
2014年~2017年分子科学研究所特任助教および助教。
2017年から東京大学大学院工学系研究科助教および特任講師を経て,
2019年より現職。
これまで光を用いたさまざまな量子技術の研究に関わっており,現在は独自方式の光量子コンピュータ開発に取り組んでいる。
主な著書に,「量子コンピュータが本当にわかる!」(技術評論社,2020 年),「新版 量子光学と量子情報科学」(サイエンス社,2020年)など。
「万能コンピューター」として過大な期待が寄せられ,研究者も当惑するようなフィーバーとなった量子コンピ ューターだが,最近は徐々に落ち着きを見せており,いよいよその研究は「地に足のついた」フェーズに入ってきたように見える。
多様な方式が提案される中,我々が注目するのはもちろん光を用いた「光量子コンピューター」だ。そこで今回,光量子コンピューター研究のホープである東京大学准教授の武田俊太郎氏に話を伺った。ここでは難解な理論よりも,研究現場で組まれている光学系などに重点を置いてその概要を紹介する。激しさを増すレースを制するのは誰か?その未来に期待したい。
─先生のご研究を紹介してください
量子コンピューターは経済や安全保障などにも関わるため,世界各国で活発に開発が行なわれていています。いろいろある方式の中で一番メジャーなのは超伝導回路を使う方式で,研究も一番進んでいます。例えばgoogleやIBMといった大手のIT企業や,日本では東京大学でも研究しています。超伝導は確かに一番進んでいるポピ ュラーな方式ですが,現状は小規模で計算ミスも多く,量子コンピューターの実現という遠いゴールを考えるとまだ1~2合目といった段階で,他の方式にも十分チャンスがある状況です。
私はその中で光の量子コンピューターを研究していますが,それは光量子コンピューターが実現するとオールマイティな量子コンピューターとなる期待があるからです。オールマイティと言える理由はいくつかあります。まず一つ目は,超伝導など他の量子コンピューターの方式は,冷凍機や真空装置を使って特殊な環境にしないと動きませんが,光量子コンピューターは私たちが暮らしている室温大気中で動きます。物理的な制約がないので,小規模でも良く動くマシンができたら,それをどんどん拡張して大規模化できると期待しています。
また,光は空間で情報を移動する唯一の量子なので,光量子コンピューターは,量子インターネットや量子通信といった未来の通信にも簡単に接続できます。もちろん光はとても周波数が高く,帯域も広いので,たくさんの情報を高速に処理できます。高クロック周波数で動く光量子コンピューターが期待できるというのも一つ重要な点です。
光量子コンピューターは世界的に見るとマイナーな研究領域でプレイヤーの数も多くないのですが,日本は光の量子分野に強い技術を持っていますし,光通信や光ファイバー関係などの光の技術にも強いので,量子コンピューターも日本に勝ち目がある分野なのではないかと期待しています。こうして私は光量子コンピューターに着目し,オリジナルの方式を考案して独自に開発する研究をしています。
─先生の光量子コンピューターにはどんな特徴がありますか?
光量子コンピューターにはいくつかの方法があって,伝統的な光量子コンピューターは光子が主役です。光子を一粒準備して,その偏光,電場の振動方向を使うというのが一番やりやすい方法です。縦に振動していれば0,横に振動してれば1,のように決めてあげると,その光子1個の振動の向き,偏光の状態で,0と1の重ね合わせを表せます。それを光回路で走らせて計算をします。
私達の方式はちょっと違っていて,光の粒ではなくて,光の波の性質に情報を載せようとしています。光は粒としての側面と同時に波としての性質も持っています。波は振幅や位相といった連続的に値を持つ物理的な量を持 っていますので,そういうアナログ的な光の性質に,量子の情報を埋め込んで処理をするというアプローチです。例えば波の振幅はマイナス無限からプラス無限まで連続的な値がとれますが,そこにしきい値を決めて,ここからこの範囲だったら0,ここからこの範囲だったら1というように決めるやり方です。実はこのしきい値でデジタル化するという方法はノイズに強く,高効率に計算処理ができたり,計算の途中でエラーが起きても,それを効率良く直す優れた方法も発見されたりしている点も魅力です。
もう一つの特徴は,ループの光回路を使っていることです。典型的な光量子コンピューターは光の量子ビットをたくさん並列に用意して同時に走らせますが,我々はループ構造の中に光を時間的にずらしてたくさん蓄え,その中をぐるぐると回しながら,1個の演算装置を繰り返し使って計算をする,ループ型の光量子コンピュータ ーという構造を発見しました。これを使って計算しようというのが二つ目の重要な特徴です。
─アプリケーション寄りの研究もされているそうですが,いち早く市場で使っていきたいという
ことでしょうか?
そうです。量子コンピューターの実現を山登りに例えると,10合目,つまり頂上まで行かないと社会の役に立ちません。9合目でも,やっぱりまだスパコンの方が速いねっていうことになるからです。もちろん研究自体は楽しみながらやればいいのですが,そこには予算も必要です。
研究を理解していただき,長い投資をしてもらうためには,今いる1~2合目から10合目まで世の中で何の役にも立たずに登っていくのは難しいと思います。光の量子技術は量子コンピューター以外にも,量子通信や量子センサーなどにも応用できるので,そういうところを山登りの途中のチェックポイントとして究極のゴール,量子コンピューターを目指すのもありかなと思っています。
─実用化が近いアプリケーションは何でしょうか?
光の量子技術の中で商用化に近いのは量子暗号です。量子暗号は光子1個レベルの光で盗聴不能で安全な通信を実現する技術ですが,すでに製品もあって商用化に近い位置まで来ています。その次は量子センサーです。数年前に重力波の観測がノーベル賞を取りましたが,重力波は一辺数kmの巨大な干渉計を用いて空間のゆがみを光で捉えることで検出されています。
このような重力波のセンサーでは,スクイーズド光と呼ばれる量子の性質を制御した光を使うことで,より高い精度や感度が実現されています。これはある意味,量子センサーが実用化されていることを意味しています。もちろん身近に使える量子センサーはまだまだですが,量子コンピューターよりは圧倒的に必要な要素が限られているので,実用化に近い分野と言えると思います。
─なぜ超伝導方式が量子コンピューターの研究をリードしているのでしょうか?
量子コンピューターに使う量子は自然界にあるものを使うことが多く,私の場合は光子を使いますし,原子を使う量子コンピューターもあります。これらの量子は人間が作ったものではなく,ある意味神が与えた量子ビットと言えます。
一方,超伝導の量子ビットは人工物なので,作った量子ビットに欠点があると思ったら,電気回路の設計を変えることで克服できたりします。量子の性質自体を人間が設計できるということがすごく大きなメリットです。
光子や原子や電子の場合は,人間がその性質を変えたりすることはできないので,その性質は受け入れたうえで,それでも適切に制御できるよう量子コンピューターを設計しなくてはいけません。