レーザー誘起損傷閾値(LIDT)⑸

図14 超短パルスレーザーの波長バンド幅の大きさは,1パルス当たりの時間の長さに逆比例する
図14 超短パルスレーザーの波長バンド幅の大きさは,1パルス当たりの時間の長さに逆比例する

セクション6:超短パルスレーザーのLIDT
超短パルスレーザー(ウルトラファストレーザー)は,極めて短い持続時間(フェムト秒かピコ秒オーダー)と高いピークパワーのパルス波を出射するモードロックされたパルスレーザーである。フーリエ限界,即ちエネルギー対時間の不確定性により,時間的なパルス幅が短いと波長スペクトルの幅が広くなっていく。

そのため,長いパルス波のレーザーに比べて,超短パルスレーザーの波長バンド幅はより広くなる(図14)。超短パルスレーザーは,高エネルギー物理学やフェムト秒材料加工,レーザー分光を始めとする広範なアプリケーションに対して有益となる。

図15 光子−電子間散乱は,格子振動と電子間のエネルギー移動であり,電子の進行方向を格子内部にリダイレクトする。対する光子間散乱は,複数の格子振動の相互作用であり,新しい光子を作り出す
図15 光子−電子間散乱は,格子振動と電子間のエネルギー移動であり,電子の進行方向を格子内部にリダイレクトする。対する光子間散乱は,複数の格子振動の相互作用であり,新しい光子を作り出す



近年,超短パルスレーザーの誘起損傷は,研究で活発に取り上げられるテーマになってきている。なぜなら,超短パルスレーザーの極めて短いパルス持続時間が,他のレーザーとは異なる作用を光学薄膜や光学部品に与えるからだ。一般的に,超短パルスレーザー照射後の薄膜コーティングの熱は,不平衡なエネルギー輸送から起こる。入射光子のエネルギーが基底状態の電子に吸収され,その後数フェムト秒以内に励起エネルギーが蓄積される。

この「ホットな」電子は,その後ピコ秒の時間スケールの光子−電子間散乱と光子−光子間(光子間)散乱を通じて元の基底状態に戻り,その際にエネルギーの再分布が行われる1)。光子−電子間散乱は,格子振動により引き起こされる電子波を関数にしたディストーションで表され,光子間散乱は格子内のその他の振動で誘起される格子振動で表される(図15)。

電子のフェルミ分布は電子格子の再分布より遥かに早いため,薄膜は2つの相互作用するサブシステム,即ち電子と光子の合成として説明することができる2)。超短パルス励起に起因する温度上昇を知ることは,超短パルスレーザーのLIDTの理解に欠かせない。ホットキャリア緩和の力学は理論的に計算可能で,また試験対象オプティクスの光学特性の変化を時間の関数として測定する超高速ポンプ−プローブ分光法を用いることで実験的に検証可能である3)

超短パルスレーザー励起下の電子と格子の熱的挙動は,電子と格子のサブシステムが別々にかつ自然発生的に平衡に達すると仮定する2つの温度モデルを用いることで説明できる。超高速励起による理論的な温度上昇を求めるために,次式にあげる2つの熱容量の式が用いられる4)

式⑺ ⑺

式⑻ ⑻

CeClは電子サブシステム/格子サブシステムの熱容量
TeTlは電子と格子の温度
keは電子の熱伝導率
Sは超短パルスレーザーのパルスによって生じ,時間(t)とスペース(z)に依存する加熱項
Gは次式で与えられる電子格子のカップリング定数:

式⑼ ⑼

meは電子の有効質量
neは電子数密度
csはバルク材中の音速であり,体積弾性率(B)対比重(ρm)の比の平方根で表される
τTe)は電子の緩和時間

図16 中心波長800 nmの0.2 J/cm2,10 fsの超高速レーザーパルス励起により生じる電子(赤線)と格子(青線)の時間別温度推移。格子温度の上昇に起因する金のナノフィルムの加熱はレーザー誘起損傷の始まりとなる
図16 中心波長800 nmの0.2 J/cm2,10 fsの超高速レーザーパルス励起により生じる電子(赤線)と格子(青線)の時間別温度推移。格子温度の上昇に起因する金のナノフィルムの加熱はレーザー誘起損傷の始まりとなる

式⑺,⑻および⑼は,TlおよびTeを時間の関数として与えるために用いられる。図16は,120 µmのビーム径を持つ中心波長800 nmの0.2 J/cm2,10 fsの超高速レーザーパルスを使用し,銅基板上に懸濁された200 nm厚の金のナノフィルムへ照射した時のTlTeの理論値を表したものになる。この金のナノフィルムの厚さは,ナノフィルム内を通る光子的及び電子的深さよりも遥かに大きなものである。

電子温度は,極めて高い温度(13,000 K)に素早く到達する。その後,電子−格子間の平衡プロセスによって格子温度(Tl)の増加につながり,約1,300 Kの値に達する。格子温度(Tl)は,金の溶融温度(1,337 K)と同じオーダーになる;フルエンスがわずか0.2 J/cm2のこの相対的に弱い超高速パルスが,金の溶融点に到達するまでの格子温度になる。


非平衡な系の場合,光子−電子間散乱や光子間散乱を通じてそのエネルギーが散逸され,金のナノフィルムから周囲の銅基板へのエネルギー移動の遅延がエネルギーを更に散逸させる。格子温度は極めて高い温度にまで上昇し,薄膜フィルム内のレーザー誘起損傷を誘発する恐れがある。レーザー励起の後に続く高速な再熱化を理解することは,超短パルスレーザーアプリケーション用の光学コーティングの設計と最適化にとり不可欠である。


参考文献
1)Jiang, L., and H. l. Tsai. “Energy Transport and Material Removal in Wide Bandgap Materials by a Femtosecond Laser Pulse.” International Journal of Heat and Mass Transfer, vol. 48, no. 3-4, 2005, pp. 487-499., doi:10.1016/j.ijheatmasstransfer.2004.09.016.
2)Shin, Taeho, et al. “Extended Two-Temperature Model for Ultrafast Thermal Response of Band Gap Materials upon Impulsive Optical Excitation.” The Journal of Chemical Physics, vol. 143, no. 19, 2015.
3)Karam, Tony E, et al. “Enhanced Photothermal Effects and Excited-State Dynamics of Plasmonic Size-Controlled Gold-Silver-Gold Core-Shell-Shell Nanoparticles.” J. Phys. Chem, vol. 119, 17 July 2015, pp. 18573-18580., doi: 10.1021/acs.jpcc.5b05110.
4)Hu, Jianbo, et al. “Ultrafast Lattice Dynamics of Single Crystal and Polycrystalline Gold Nanofilms☆.” Chemical Physics Letters, vol. 683, 2017, pp. 258-261., doi:10.1016/j.cplett.2017.04.021.




■Laser Induced Damage Threshold (LIDT)⑸
■Edmund Optics Japan Co., Ltd.

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