いつのことだったか,こんなことを言われたことがある。「瞳の色が茶色の人は移り気なんだって。そして,あなたの瞳の色は茶色。」特に何か抜き差しならぬ状況であった訳ではなく,普通の雑談の時であったことを断っておく。それはともかく,たしかに僕の瞳は少し薄めの茶色だ。
そして自分でもいやになるくらい飽きっぽい性格である。だから,僕はその時の一言を特に理由も無く受け入れ,そのうえ「そうかあ,茶色の瞳だから移り気なんだ。いやいや待てよ,移り気だから目が茶色いのか。ふーむ,どっちが先なのだろう」などと,どうでも良いことに思考の時間を費やしていたりしたのである。
でも,よくよく周りを見渡してみれば,茶色い瞳でもしっかりと一つの物事に取り組んでいる人だっているし,だいたい世界にはさまざまな瞳の色を持つ人がいるのに瞳の色で性格が決まっているようでもなさそうだぞ,ということにようやく気がついたのである。
なんとなく納得していたのだけれど,よくよく考えてみれば「本当?」と疑念を持ってしまう事って,この世の中にはけっこう溢れているような気がする。たとえば「青い瞳」もそのひとつだ。瞳と言うのは瞳孔のサイズを変えて網膜に取り込む光の量を調整するための目のパーツで,「虹彩」というのが正式な呼び名だ。虹彩は平滑筋という筋肉で出来ている組織だが,それがメラニン色素を多く含んでいると茶色や黒に見える。
これに対して,欧米人に多い青い瞳と言うのは,虹彩が含むメラニン色素が薄いために青く見えるのだ,というのが何となく知っていた情報だ。「ふうん,緯度が高くて日差しが弱いところに住んでいる人種はメラニン色素が少ないから髪の毛も黒くないし,肌も白いし,瞳も青いんだ。」と,特に疑問を持つ事もなく,この歳まで過ごしてきた。