2004年に設立されたスペクトロニクスは光機器受託事業からの脱皮を図り、レーザ発振器専業メーカーとして舵を切り始めた。今回その事業戦略の方向性について、創業者である岡田穣治氏と、経営を引き継いだ代表取締役社長 CEO 長岡由木彦氏に話を聞いた。
広げすぎた参入市場と商品ラインアップの見直し
―まずは創業当時から現況までをお聞かせください
岡田穣治(以下、岡田)前職は産業機器メーカーで、レーザ事業を立ち上げました。しかし、その後の事業拡大の提案が通り難く、「それならば!」と起業したのが、スペクトロニクスです。当初は祖母の家の部屋の一部を改装して事務所として起業しました。
起業したのは良いですが、当初はとにかくお金がない状況が続き、社員の給与を優先したいということで、私はしばらく無給で、妻の所得に頼らざるを得ないという生活を送っていました。
事業としては光・レーザ機器の受託開発からのスタートでした。そのために必要な研究開発の備品は全て自作したり、中古品を修理したりして使用するなどして対応していました。結果として、これが技術者の育成にもつながりました。前職でレーザマーカの開発などを主に行なっていたので、そうした経験を活かし、レーザのアプリケーションシステムの設計・開発やコンサルティングを通じて、顧客の開拓を進めていきました。
この事業は軌道に乗っていったのですが、長期的に安定した収益確保が必要ということで、レーザ応用機器のOEM生産を始めました。一方で、自社ブランドのレーザ発振器自体を開発したいとの想いが強くなり、最初はナノ秒レーザを開発しました。ピコ秒レーザを開発し、販売を始めたのは、薄膜太陽電池パネルのスクライブ用途からでした。資金調達も行ない、製品開発を進めていったのですが、なかなかレーザを沢山使っていただけるところに巡り合うことができませんでした。
これを補うではないですが、「何でもやります」という姿勢で受託開発事業を行なっていました。ですが、当時の株主の方に「何でもできるというのは、何もできないということだよ」と指摘を受け、良い気づきを得ました。 それでピコ秒レーザの開発に的を絞り、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)のプロジェクトにも参画し、266nmの深紫外ピコ秒レーザの開発にも成功しました。それでも事業化に苦しんでいたのと、売り先のパイプラインを増やしすぎていったので、経営の戦略的な見直しが必要となりました。現在は経営のバトンを長岡に渡したことで、事業成長へのチャンスが出てきている状況にあります。