東京大学は,従来の中赤外フォトサーマル顕微鏡の信号対雑音比を数百倍向上させ,世界最速の単一細胞中赤外イメージングを実現した(ニュースリリース)。
近年,中赤外光吸収による温度上昇に伴う試料の屈折率変化を,可視光を用いて検出する中赤外フォトサーマル顕微鏡が開発された。この顕微鏡の空間分解能は可視光の波長で決まるため,単一細胞レベルでの詳細な中赤外イメージングが可能となる。
例えば,研究グループが開発した中赤外フォトサーマル定量位相顕微鏡では,定量位相顕微鏡を用いてフォトサーマル効果を可視光の位相変化として検出する。十分な信号対雑音比が実現できていれば,この顕微鏡の画像取得レートはカメラの撮影レートまで向上させられるため,高速な単一細胞中赤外イメージングの実現が期待される。
しかしながら,検出感度の低さから現状では画像取得レートは0.1-1枚/秒にとどまり,その性能は最先端のラマン顕微鏡には及んでいなかった。
研究グループは,高強度中赤外パルスレーザーと高飽和電荷量カメラを用いた低ノイズ定量位相顕微鏡を組み合わせることで,従来の中赤外フォトサーマル顕微鏡と比較して信号対雑音比を数百倍向上させ,1秒間に50枚の単一細胞画像を取得可能な中赤外イメージングを初めて実現した。
高強度中赤外パルス光は,光パラメトリック発振器を用いて生成し,従来のフォトサーマル顕微鏡で使用される中赤外量子カスケードレーザーの場合と比較して約60倍大きな位相変化を実現した。また,通常のカメラが記録できる光子数の約100倍を記録可能な高飽和電荷量カメラを導入し,位相ノイズを約7分の1に低減させた。
これらの要素を組み合わせた高感度中赤外フォトサーマル定量位相顕微鏡を用いて,細胞内の脂質や水の分子振動画像を1秒間に50枚の速度で撮影した。アクアポリンと呼ばれる細胞膜上の膜タンパク質を通じて細胞内外の水分子が交換するダイナミクスを可視化した。
水のダイナミクスを捉えることは分子振動顕微鏡以外では難しく,特に中赤外吸収は水分子に対して高い感度を持つことが知られているため,この顕微鏡は水のダイナミクスを観察する強力なツールとなり得ると考えられる。
研究グループは今後,高強度中赤外光の波長帯域をさらに拡張し,分子指紋領域と称されるさまざまな生体分子の特徴的な吸収が存在する波長帯での高感度中赤外イメージングの実現を目指す。これにより,細胞内のタンパク質の二次構造解析や,細胞内での液-液相分離の観測といった,従来技術では困難であった生体現象の観測が期待できるとしている。