書評:「面発光レーザーが輝く VCSELオデッセイ」

~この著書をあえて言うならVCSEL叙事詩と言っても良い~

著:伊賀健一(東京工業大学 名誉教授/元学長)
価格:1,977円(税抜き)
ISBN:9784902312577
発売日:2018年12月14日

書評:西澤紘一(工学博士,株式会社プライムネット 取締役)

漆黒の夜空に星が輝いている表紙『面発光レーザーが輝く VCSELオデッセイ』を見つけたらぜひとも手に取ってほしい。この本は,単なる技術解説書ではない。また技術開発史を述べたものでもない。教育指南本でもなく,ブレークスルー哲学書でもない。

夜空に輝く星が星座を形作るようにすべての要素が交差しながら融合構成されている。副題にあるオデッセイとは,古代ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩のタイトルで「長い冒険の旅」と言う意味だそうだが,この著書をあえて言うならVCSEL叙事詩と言っても良い。また,章ごとに余話として編集者と著者との対話が挿入されているが,行間を読まなくても著者の本音が垣間見えてホッとする。

全体を通してVCSEL発明の経緯,ブレークスルー時の苦労,応用展開と将来への展望が順序良く述べられており,その中にベル研究所での体験や大学での学生との白熱議論などのエピソードが挿入されており,教育書としても十分読むことができる。

VCSELとは,この分野に造詣の深い方々はすぐに理解できるが,専門外の方々や中学高校生には馴染みがないかも知れない。しかし,私たちの身近な製品,インターネット,スマホ,プリンタ,ディスプレイなどにふんだんに使われていることを知れば興味がわくに違いない。この本を読み進めてゆけば,VCSELが何たるかが理解できるが,まず日本発の技術であることを強調したい。VCSELが始めて世に出た1977年と言えば,日本が高度成長に向かって元気な歩みを始めた時代であった。気象衛星ひまわり1号が打ち上げられ,TVのカラー放送が本格化した年でもある。

当時半導体レーザーが実用化されていたころで,半導体積層膜から平行に発光している構造が普通であった。この既成概念を根本から変えたのが,積層膜と垂直方向に光を出す構成であった。その時,著者はこの新しい光半導体素子を垂直共振器型面発光レーザー(Vertical-Cavity Surface-Emitting Laser:VCSELと略称)と名付けた。

この本の前半は,光半導体研究に魅せられた経緯やVCSELのアイデアに至る苦労話が詳細に述べられている。特に第4章にある「準備万端無反省」なるキーワードに惹かれる。最初にしっかりとした目標を定めて,それを実現するための徹底した研究準備をすることの大切さが述べられている。そしていったん走り出したら,少々の失敗にくよくよすることなく当初の信念を貫くこと。著者の体験からの言葉だけに重みがある。

目標設定,十分な準備,厳しい訓練を終えて,いざ本番での試合では,追い詰められ時や自らのミスなどいかなる困難な状況に対しても迅速に正確に対応しつつ,強い意志を持って勝利に至る姿は,今般豪州オープンで優勝した大坂ナオミと著者の姿が重なる。なおナオミとは旧約聖書に出てくる人物で,ヘブライ語の「喜び」と言う意味だそうだ。

5章からいよいよVCSEL開発の経緯が述べられる。モノリシック,単一モード,波長再現性の3要素を実現することに目標を定めて,1つ1つブレークスルーされて行く過程は,発明物語としても大変興味深い。さらに上記3つの目標が後日,思わぬ応用に展開してゆくことになる。モノリシックがインテグレーションへ,単一モードが多モードへ,波長再現性が波長可変性へ。1つの目標を原理からきちっと積み上げてゆくと,後でどのような応用にも対応できることが実証されている。

次にベル研究所に留学された様子が語られている。当時のベル研究所はノーベル賞受賞研究者が数多く在籍している世界トップクラスの研究機関であった。そこで,著者が体験された研究生活はまさに野茂英雄のメジャーリーグ挑戦と重なる。一流の研究者同士の相互交流がいかに新しい発想を刺激し合うかが良く理解できる。

ベル研究所から戻られたあと,VCSELにおける大イノベーションが起こる。常温での連続発振動作である。これが実現しないと電子部品には使えない。当初構造上無理ではないかと言われていたそうだ。材料や構造を徹底して追求し,1988年ついに目標をクリアした。発明から11年目であった。このブレークスルーがあって,VCSELが,商用光半導体レーザーとしての応用への道が開けた。この壁を乗り越えたことで,種々の波長,波長の掃引,光学素子(平板マイクロレンズ)との集積化など多様な応用展開が可能となった。

後半は,インターネット,スマホへの応用展開,さらに超並列フォトニクスへの夢が語られている。また,特許についても言及があり,出願が早すぎる(先端すぎる)と,実用化された頃に特許期限(出願後20年)が来てしまうという矛盾にも触れられている。

最後にチャンスを生かす15の法則として,著者の経験に基づいたアドバイスが付記されており多くの読者の共感を得るに違いない。さらに最終章には,学術振興会理事として,また大学学長として,さらにフランクリン賞受賞者としてのコメントが記されており当事者の生の経験談が興味を引く。

この本では,著者のVCSEL素子の開発史が軸ではあるが,研究者としての心得,指導者としての心情,製品開発成功へのヒントなど多様な読み方ができる。研究を志す学生諸君,技術現場に配属された若き技術者,教育に携わる指導者,科学に興味のある中高生諸君,さらに科学に興味を持つ子供とその親たちにもぜひ座右の書として読んでいただきたい。

対象はVCSELと言う素子ではあるが,内容そのものには研究者,教育者としての生の実経験やそれに基づいたアドバイスがそこここにちりばめられており,読み物としても面白い。また,VCSELを軸とした光半導体の分野に携わる方々にとっては,その歴史や意味付の時系列的な技術資料としても価値が高い。

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