こすると発光色が変わる有機結晶の合理的創製

3.2 2成分化による発光波長変化量の拡大

機械的刺激により発光波長が大きく変化するMCLは,機械的刺激を顕著なスペクトル変化として容易に検知できるため実用性が高い。しかし,これまでに報告されているMCLは,ほぼ全ての例において,発光波長の変化量は150 nm以下である。筆者は,機械的刺激による非晶質化に伴い,MCL分子から別の発光分子へのエネルギー移動を誘起することで,発光波長の変化量を合理的に拡大することを着想した。別の発光分子としては,ピレンのエキシマー発光領域に吸収帯を持つN, N′-ジメチルキナクリドン(DMQA)を選択し,モル比1:1の2fDMQAを混合することで,発光波長変化量が196 nmとなる自己回復性MCLを実現した(図7)。すなわち,蛍光極大波長422 nmの紫色発光を示す2f/DMQA混合物を薬さじでこすると,蛍光極大波長616 nmの橙色発光を示す状態に変化し,室温下で20秒程度静置すると元の紫色発光状態に戻った。

図7 2fをDMQAと混合することによるMCLの波長変化量拡大
図7 2fDMQAと混合することによるMCLの波長変化量拡大

ピレニルチオフェン2fDMQAからなる混合物のMCLにおいて,発光波長が顕著に変化する機構は図8のように説明できる。粉末X線回折の測定より,2f/DMQA2fDMQAがそれぞれ独立に結晶化した相分離結晶であることがわかった。相分離結晶では,結晶状態の2fがピレンのモノマー発光を示すが,長波長領域はDMQAにより吸収されるとともに,結晶状態のDMQAが微弱な赤色発光を示すため,紫色発光が観測されたと考えられる。相分離結晶をこすると,2fはエキシマー発光性の非晶質状態に変化する。一方,DMQAは結晶性が高いため完全には非晶質化しないが,一部が非晶質化することで非晶質状態の2fに溶解すると考えられる。この非晶質混合物に紫外光を照射すると,2fはエキシマーを形成するがDMQAへのFörster共鳴エネルギー移動が起こるため,DMQAからの橙色発光が観測されたと説明できる。また,部分的な自己回復を示した2fのみと異なり,2f/DMQAでは発光色が室温下で完全に自己回復したのは,結晶状態のDMQAにより2fの再結晶化が促進されているためと考えられる。

図8 相分離結晶のMCLにおける発光波長変化の機構
図8 相分離結晶のMCLにおける発光波長変化の機構

4. おわりに

本稿では,筆者らが見出したドナー・アクセプター型分子や2成分系ピレン分子を例に,自己回復性MCLにおける発光波長や回復時間を制御するための手法について紹介した。相分離結晶による機械的刺激応答性の制御は,本稿で示した組合せ以外にも適用可能であり,発光波長が300 nm以上変化するMCLや,発光強度のON/OFFスイッチングなどを実現している6)。機械的刺激により発光特性が変化する有機結晶は,当初はセレンディピティにより見出されていたが,筆者らをはじめとして国内外で活発な研究が行われた結果,合理的に設計することが可能となりつつある。一方,MCL性有機結晶をセンサー材料として社会実装する上では,均質性や成形加工性が低い点などが大きな課題となっている。産学連携により諸問題を解決し,機械的刺激の高感度・高分解能検出を実現可能なMCLセンサーが開発されることを期待したい。

謝辞

本稿で述べた研究成果は,実験に携わった学生諸氏の懸命な努力により得られたものであり,深く感謝いたします。独自の研究課題に取り組むに当たりご指導賜った横浜国立大学 淺見真年名誉教授,各種測定にご協力いただいた横浜国立大学 山口佳隆教授,生方俊准教授に心より御礼申し上げます。本研究の一部は,科学研究費助成事業,双葉電子記念財団の支援を受けて行われたものであり,謹んで感謝の意を表します。

参考文献
1)S38Y. Sagara, T. Mutai, I. Yoshikawa, K. Araki, J. Am. Chem. Soc. 129, 1520 (2007).
2)S38H. Ito, T. Saito, N. Oshima, N. Kitamura, S. Ishizaka, Y. Hinatsu, M. Wakeshima, M. Kato, K. Tsuge, M. Sawamura, J. Am. Chem. Soc. 130, 10044 (2008).
3)S38(a) 伊藤傑, 淺見真年, 山田武士, 特許第6521728号; (b) 伊藤傑, 淺見真年, 山田武士, 田口智啓, 特許第6663820号; (c) S. Ito, T. Yamada, T. Taguchi, Y. Yamaguchi, M. Asami, Chem. Asian J. 11, 1963 (2016); (d) S. Ito, T. Taguchi, T. Yamada, T. Ubukata, Y. Yamaguchi, M. Asami, RSC Adv. 7, 16953 (2017).
4)S38(a) S. Ito, Chem. Lett. 50, 649 (2021); (b) S. Ito, J. Photochem. Photobiol. C 51, 100481 (2022); (c) S. Ito, CrystEngComm 24, 1112 (2022).
5)S38M. Ikeya, G. Katada, S. Ito, Chem. Commun. 55, 12296 (2019).
6)S38(a) S. Ito, R. Sekine, M. Munakata, M. Yamashita, T. Tachikawa, Chem. Eur. J. 27, 13982, (2021); (b) M. Munakata, S. Ito, Chem. Lett. 52, 276 (2023); (c) R. Kubota, S. Takahashi, S. Nagai, S. Ito, Chem. Asian J. 18, e202300124 (2023).

■Rational Creation of Organic Crystals Exhibiting Luminescent Color Change Upon Grinding
■Suguru Ito
■Faculty of Engineering, Yokohama National University, Associate Professor

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