大気環境情報のレーザーセンシング技術

3. 風と水蒸気の同時計測実証

開発したMP-DIALの計測性能を検証するため,2020年6月から7月にかけて,東京都小金井市のNICT本部において信頼性の高い気象観測装置(ラジオゾンデ)との同期観測を行った2)。なお,この比較検証では,波長2 μm帯で1.5 W出力(パルスエネルギーが50 mJ,パルス繰り返し周波数が30 Hz)の冷却型パルスレーザー3)(Tm, Ho:YLFパルスレーザー)を用いており,水蒸気観測用に開発した波長制御装置の実証試験に主眼を置いていて実験を行った。MP-DIALはNICT本部の建物の屋上(地上高20 m)に設置して観測を行った。

図4に2020年7月20日16時28分に放球されたラジオゾンデとMP-DIALで観測された水蒸気量の比較を示す。MP-DIALは鉛直上向き固定でレーザー光を射出し,その散乱光を距離分解能95.9 m,時間分解能1時間で解析し,各高度での水蒸気量とその計測誤差(エラーバー)を算出した。ラジオゾンデは,ゴム気球に取り付けて飛ばし,上空の気圧,気温,湿度,風向,風速などの気象要素を測定し,測定値を無線で地上に送信する高層気象観測で一般的に用いられる非常に信頼性の高い装置である。この比較検証実験では,MP-DIALから北北西に300 m離れたNICT内の観測用広場からラジオゾンデを放球した。図4に示した観測結果から,MP-DIALにより水蒸気量の高度方向の変動が捉えられていることがわかる。また,放球された16台のラジオゾンデとMP-DIALで観測された水蒸気量の散布図(図4)は,相関係数0.81と良い一致を示している。系統的誤差は1%,確率的誤差は10%であり,気象予報モデルへのデータ同化に要求される測定誤差を達成できることを実証した。

図4 ラジオゾンデとMP-DIALで観測された水蒸気量の比較
図4 ラジオゾンデとMP-DIALで観測された水蒸気量の比較

前述したように,MP-DIALは眼に対する安全性が高い波長2 μm帯の赤外線レーザー光を用いているため,水平方向にレーザー光を射出して,地表面付近の風と水蒸気の同時観測をすることも可能である。2020年9月16日に,北東方向のほぼ水平方向(方位角 約51度,仰角 約3.7度)にレーザー光を射出し,地上に設置した気象観測装置との比較検証実験を実施した。図5にMP-DIALの非吸収波長で観測された水平距離ごとの視線方向風速の時間変化を示す。1秒間の平均データでありながら,最大約9 kmまでの視線方向風速が計測されている。MP-DIAL近傍の地上気象観測装置では午前中は弱い北から北東よりの風で,12時から18時にかけて徐々に東風に変化し,18時に南東風に変化した。MP-DIALでもこの風の変化に対応する風の場の変化を捉えている。

図5にMP-DIALから南に120 m離れた鉄塔の地上高59 mの位置に設置されている超音波風速計のデータをMP-DIALの視線方向に投影した風速と同じ観測高度のMP-DIALの視線方向風速の時間変化を示す。観測位置や観測体積は異なるものの,MP-DIALと超音波風速計は共に良い一致を示し,風速の微細な擾乱を捉えていることがわかる。また,図5に上記の鉄塔の地上高56 mの位置に設置されている地上気象観測による水蒸気量と,同じ観測高度のMP-DIALによる水蒸気量の時間変化を示す。MP-DIALは距離分解能95.9 m,時間分解能1時間で水蒸気量とその計測誤差(エラーバー)を算出した。両者とも概ね良い一致を示しているが,ややMP-DIALによる水蒸気量の方が大きい傾向を示している。これは,MP-DIALの観測体積が高度方向に傾いており,より水蒸気量の多い下層も含めて計測しているためと考えられる。

図5 2020年9月16日にMP-DIALで観測された水平距離ごとの視線方向風速と水蒸気量
図5 2020年9月16日にMP-DIALで観測された水平距離ごとの視線方向風速と水蒸気量

4. MP-DIALの社会実装に向けて

2020年に実施した実証試験では,MP-DIALにより風と水蒸気の同時計測が可能であることを示したが,水蒸気量の観測高度の上限は約1.3 kmであり,観測時間も1時間と長い。より高高度,長距離かつ短時間での水蒸気量観測のために,高出力かつ高繰り返しのパルスレーザーが必要である。また,現在使用しているシードレーザーは,高価で入手性が悪く,任意の波長に調整することが困難(吸収波長と非吸収波長で異なる種類のレーザーを使用する必要がある)という問題がある。MP-DIALを社会実装するためには,シードレーザーとパルスレーザーの高性能化を図りつつ,安定化と低価格化が必須である。

NICTでは2020年からシードレーザー用途に波長可変な波長2 μm帯の狭線幅CWレーザーの開発を開始した。このCWレーザーは,低コスト化と安定化を主眼として,レーザー媒質であるTm, Ho:YLFマイクロチップ結晶,発振波長選択のための2枚のイントラキャビティエタロン素子,ピエゾ素子に取り付けられた凹面出力鏡から構成されるシンプルなレーザーダイオード端面励起の固体レーザーである(図6の左写真)。このCWレーザーは,パルスレーザーへの光注入同期およびヘテロダイン検波に用いる上で十分な性能を有し,適切なエタロンとピエゾの制御によりシームレスな波長チューニングが可能である。現在,風を計測するドップラーライダー用のシードレーザーとして使用可能かつ1年以上の連続運用が可能であることを確認しており,今後,MP-DIALのシードレーザーとしての性能評価と改良を行っていく予定である。

一方,パルスレーザーとして,Tm ファイバーレーザーを励起光源とする端面励起 Ho:YLFパルスレーザー4)の開発も進めている。このパルスレーザーは,入手性が良い加工用または医療用のTm ファイバーレーザーを用い,冷凍機不要,つまり常温で効率的な高繰返し周波数かつ高平均出力動作が可能である。現在,更なる高出力化のために,100 W励起のHo:YLFレーザー発振器とHo:YLFレーザー増幅器を組み合わせたHo:YLF master oscillator power amplifier(MOPA)の開発を進めている(図6の右写真)。そして,このパルスレーザーを組み込んだMP-DIALの風および水蒸気の高高度,長距離,短時間観測の性能評価を行う予定である。

図6 開発中のMP-DIALの構成部品(シードレーザーとパルスレーザー)
図6 開発中のMP-DIALの構成部品(シードレーザーとパルスレーザー)

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