テラヘルツドップラ測定に基づく非接触心拍計測の試み

3. 非接触心拍計測への応用

図2(a)衣服透過型心拍計測の実験の様子。(b)心拍に伴う反射波の位相差を時系列信号として表示し,心電図(ECG)と比較。
図2(a)衣服透過型心拍計測の実験の様子。(b)心拍に伴う反射波の位相差を時系列信号として表示し,心電図(ECG)と比較。

微小な振動変位を不透明媒質越しに計測可能なテラヘルツレーダーの応用例として,人の心拍を衣服越しに非接触検出する試みについて説明する。以下に述べる実験は,慶應義塾大学理工学部の生命倫理委員会の承認の下に執り行われたものである。まず,レーダーから見て約20cm,45°の距離に被験者の胸部が位置するようにし(図2(a)),被験者は測定の5秒間呼吸を含め身体の動きを止めるよう指示されている。400~480GHzにわたって周波数を掃引して受信器出力より得られるスペクトルを逆フーリエ変換し,結果の位相項について前フレームとの差分を取る一連のプロセスを31ms以内に完結させている。

なお,今回の実験では被験者の方向が大まかにわかっているため,周波数掃引の範囲を限定して測定の高速化を図っている。そのようにして得られる位相差データを時間軸に沿って積み重ねていくことで,サブ波長の微小変位の時間変化を得ることができる。以上の方法に基づいて心拍を記録した実験結果例を図2(b)に示す。心臓の拍動を表している双極性の位相シフトから,約30μmの変位を読み取ることができる。

また,参照用に別途取得した心電図(Electrocardiogram,ECG)と比べるとよく相関した信号となっていることが分かる。今回の実験では,被験者の身体の動きを短時間止めているが,今後はこのような動きに起因するアーティファクトをフィルタリングすることを試み,被験者側への要請を軽減できるようにする。

これまでにもマイクロ波9~11)や光12~14)を用いて心拍を検出する試みは行われてきたが,両者の特長は相補的なものであった。即ち,マイクロ波は衣服への高い透過性を示すものの,表面の微小振動をトラッキングできるほどの分解能は達成し難い。一方,光はその逆である。

今回,テラヘルツ波を利用することで,両者の長所を兼ねそろえ,心拍の詳細な動きを衣服越しに検出できた。これによって取得可能となるデータは聴診器と同様のものになると考えられるが,非接触計測が可能になることから,短時間で簡便に,衛生面やプライバシー上の懸念も和らげながらヘルスチェックを行える可能性が拓かれる。今後,より長時間にわたるモニタリングを安定して行うには,各種ノイズやクラッタの影響をキャンセルするための信号処理方法を一層向上させる必要がある。

4. おわりに

LWAに基づく集積型テラヘルツレーダーの構成方法を提案した。逆向き対称ペア型のLWAを用いることで,フェーズシフタやサーキュレータを用いることなくビーム走査とホモダイン検波とを集積実装できるようになる。また,周波数掃引とその結果の逆フーリエ変換を高速に繰り返すことにより,対象物の微細な動きを捉えることができる。今回は金属導波管に基づく実装を行ったが,今後マイクロストリップ線路型や誘電体線路型などの伝送線路を用いることでよりコンパクトな実装を達成できる可能性がある。ただし,そのためには金属や誘電体による損失をいかに抑制するかが重要な技術課題となる。

また本稿ではテラヘルツレーダーの応用例として,人の胸部に現われる心拍動を衣服越しに非接触計測できることを説明した。今回は単純なピークサーチアルゴリズムのみを利用したが,今後より高度な機械学習などを援用することで,複雑なレーダー信号を識別できるようになる可能性がある。このようなレーダーは,ヘルスチェックやセキュリティチェック,ドローンの飛行支援,ヒューマンコンピュータインターフェースなど広範な分野への応用展開が考えられる。

参考文献
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■Non-contact heartbeat measurement based on terahertz doppler measurement
■Yasuaki Monnai

■Keio University, Department of Applied Physics and Physico-Informatics, Associate Professor

モンナイ ヤスアキ
所属:慶應義塾大学 理工学部 物理情報工学科 准教授

(月刊OPTRONICS 2021年1月号)

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