1. はじめに
液晶の屈折率異方性を応用して,入射光の波面を制御する液晶レンズや液晶偏向素子は,電圧の印加によってそのパラメータや極性を制御できるため,新しい光学デバイスとしての応用が期待されている1〜9)。一例として,液晶レンズを応用した可動部分を用いない焦点制御機構は,一部のスマートフォン向けのカメラに実用化されている10)。
しかしながら,より広い用途において従来の機械的なアクチュエータの代替とするためには,さらなる性能の向上が必要である。例えば,液晶偏向素子をスマホ用小型カメラの手振れ補正に応用しようとした場合,従来に比較して,約3倍の偏向角度が必要になる11)。
ところが,液晶素子の光学異方性に起因する複屈折率,即ち,常光と異常光の透過における屈折率の差異Δnは,通常の液晶材料では0.2〜0.3と限られているため,一つの素子において大きい透過光の位相差Δn・d(リタデーション:dは素子の液晶層の厚み)を得るためには,液晶層の厚みdを増大させるよりなく,その結果,スイッチング速度の低下(dの2乗に半比例)や,ディスクリネーションと呼ばれる液晶分子配向の欠陥を生じやすくなるという致命的な問題があった。
従来のレンズにおいては,レンズの性能を保ったまま材質の厚みを低減する方策として,フレネル構造による設計が有効利用されている。この構造は,図1(a)の球面レンズに対して,図1(b)に示すように,レンズの曲面を同心円状の輪帯に分割して,光軸方向に段差を設けて形成することにより,レンズの厚みを薄くして軽量化を図ったもので,灯台用のレンズや太陽光を集めて加熱するための集光レンズなど,主に大口径のレンズに利用されている。
この仕組みは,前述のように材質の厚みを増やしたくない液晶素子にとっては好適であるが,これを実現させるためには,図1(b)に示すブレーズ状の屈折率分布を,液晶層内に形成させる必要がある。過去のフレネル型または回折型の液晶レンズでは,ブレーズ状の段差が既に形成されている透明材質中に液晶材を封入した例がある。しかしながら,レンズパワーを連続的に,且つその極性も自在に変化させるためには,平面のみでブレーズ状の屈折率分布を形成する方が,より望ましい。
本稿では,フレネル構造を持つ液晶素子の可能性を検討するために,櫛形に配列した透明電極と,高抵抗層を用いて設計した新しい膜構造の液晶偏向素子と,液晶層内に得られる電位分布をシミュレーションにより算出された結果を紹介する。また,その設計を基に試作した液晶偏向素子サンプルを用いて,電圧の印加によるレーザ光の出射偏向角度の評価を行った結果と,フレネル型液晶素子の将来への展望について述べる。