東北大学は,スピントロニクス技術を用いた擬似量子ビット(確率ビット:Pビット)素子を,1秒間に1億回(従来比100倍)動作させるための重要技術を開発すると共に,これまで着目されてこなかった動的磁化状態の「エントロピー」を考慮することでその物理的起源が説明されることを示した(ニュースリリース)。
スピントロニクスの原理を用いた不揮発性磁気メモリー(MRAM)では,ある一定の確率で情報の喪失(「物忘れ」)が起こる。磁気トンネル接合では,「0」と「1」の2状態間のエネルギー障壁が十分に高ければ「物忘れ」が抑制される。一方で,エネルギー障壁が低い場合,2状態間の確率的な遷移を短い時間周期で繰り返す。
東北大学と米Purdue大学は,この性質が不確定な2状態の重ね合わせ状態を取れる量子ビット(Qビット)と類似している点に着目し,Qビットを模したPビットを開発した。そして1秒間に1000回程度ビット状態が書き換わる(「物忘れ」する)磁気トンネル接合素子を連結し,最適化問題などを解く確率論的コンピューターの原理実証を行なった。確率論的コンピューターは熱ゆらぎによる状態の更新頻度が高いほど計算の速度と精度が向上することから,素早く「物忘れ」する磁気トンネル接合の開発が重要となる。
今回,研究グループは,面内磁化容易軸を持つ磁気トンネル接合を作製し,1秒間に1億回を超える状態更新の観測に成功した。磁気抵抗効果により,平均8ナノ秒で「0」と「1」の状態間を高速に遷移していることが分かり,これまでの磁気トンネル接合の状態更新時間の世界最短記録の報告値を100倍以上更新した。さらにこの大幅な高速化が磁化の熱ゆらぎに関する新しい理論的枠組みで説明できることを明らかにした。
磁性体の磁化は磁場や磁気異方性の影響を受けて運動し,その挙動を絶対零度で決定する方程式と,有限温度で熱ゆらぎにより生じる磁化の運動の確率性を,ブラウン運動全般を記述する方程式を組み合わせた確率論的運動方程式を用い,観測されたナノ秒での状態間遷移の挙動を数値計算シミュレーションにより再現した。
エントロピーの増大速度が従う方程式を導出し,面内磁化容易軸を持つ磁性体において垂直方向の磁気異方性の絶対値が大きいほどエントロピーが急速に増大し,「物忘れ」が高速に進むことを説明した。
これは,確率論的コンピューターの研究開発を加速する成果。加えて,「ゆらぎの定理」などの非平衡熱統計物理学の新概念とスピントロニクスを繋ぐ革新的な手法を提供することも期待されるとしている。