豊田中央研究所(豊田中研),高エネルギー加速器研究機構(KEK),日本原子力研究開発機構(原研),大阪大学,国際基督教大学らの研究グル-プは,負電荷を有する素粒子ミュオン(μ–)が物質中では水素以外の原子核に捕獲されて動かないことに注目し,負ミュオンスピン回転緩和(μ–SR)測定により,水素化合物中の水素の作る微小な磁場とその揺らぎの観測に世界で初めて成功した(ニュースリリース)。
固体内のイオン拡散は,電池等の電気化学素子の動作の基本原理となる。従来は,正電荷を有するミュオン(µ+)の磁針を利用して,リチウムイオン等の運動による固体内の微小な磁場変動を観測し,拡散挙動を調べてきた。つまり,正ミュオンスピン回転緩和(µ+SR)測定を利用してきた。
燃料電池用の水素貯蔵材料でも,水素を効率良く取り出すためには,水素が材料内を素早く拡散する必要がある。しかし,正ミュオンは物質中では陽子の軽い同位体として振舞う。水素が動く状況では,観測原点である正ミュオンも動いてしまい,µ+SRの観測結果には曖昧さが伴った。
研究グループは負電荷を有するミュオン(µ–)に注目。水素化合物に入射された負ミュオンは水素以外の重い原子核に捕獲され,動かなくなるため,いわば固定点から,水素の作る微小な磁場を観測できる。この磁場は水素の運動に伴って揺らぐので,揺らぎの観測から水素の運動挙動を正確に知ることができると予想した。
微小な磁場の観測には高統計測定が必要だが,従来は負ミュオンビームの強度が弱く,有意な時間内に測定を終えることができなかった。今回,大強度の負ミュオンビームを供給するJ-PARCで,高集積陽電子検出器システムを用い,水素化マグネシウム(MgH2)粉末の負ミュオンスピン回転緩和(µSR)スペクトルの時間ヒストグラムを測定した。
その信号からMgに捕獲された負ミュオンの信号を抽出したµSR非対称性スペクトルを解析したところ,µ–SRにより,世界で初めて物質内で水素が作る微小磁場を観測した。また室温でも磁場は僅かに揺らいでいて,水素が少し動いていることも分かった。
この成果は,従来の正ミュオンのみならず負ミュオンを用いて,物質内部の磁場を検出できることを示したもの。多くのエネルギー材料・生体材料中では,水素を始めとする軽元素の運動が重要な役割を担っており,これを正確に検出する新たな手法による,高性能な水素貯蔵材料の開発や生体現象のより深い理解に,µ–SRは大きく貢献するとしている。