東京大学と産業技術総合研究所(産総研)は仏ネール研究所と共同で,電子波の位相のずれを精密かつ信頼性高く測定できる独自の二経路干渉計を用いて,多電子の人工原子でも位相のずれが軌道の形を反映することを世界で初めて明らかにした(ニュースリリース)。
電子が散乱体によってどのように散乱されるかは量子力学の基本的な問題であり,これを利用すると散乱体の内部構造を調べることができる。例えば,電子が人工原子を通って散乱された際に生じる位相のずれは,人工原子内部の軌道の形に依存してその振る舞いを変えることが理論的に予測されていた。
近年,半導体技術の進歩によって,電子の量子干渉計や,電子を1個単位で閉じ込めることができる人工原子を自在に設計,作成できるようになった。このため,実際に電子が人工原子を通って散乱された際の位相の変化を測定する実験が試行されるようになった。
しかし,1997年と2005年に電子を10個以上含んでいる人工原子について行われた実験では,理論的な予測とは異なり,人工原子の内部の状態には依存しない,普遍的な位相の振る舞いが現れることが報告された。電子の位相を精確に測定することが技術的に困難であったため,その後,この理由について十分な説明は得られていない。
研究グループは,独自の二経路干渉計を開発し,電子波の位相のずれを精密かつ信頼性高く測定できることを示していた。また,人工原子内の電子とそれに接続された電極中の電子との間の相互作用が強く現れている状態において,電子波に生じる位相のずれがどのように振る舞うかを明らかにするなど,その二経路干渉計の有用性を実証してきた。
研究では,新たに架橋構造を取り入れて制御性を高めた二経路干渉計を開発し,その片方の経路に人工原子を組み込んだ。そして,人工原子内の電子数を1個単位で変化させながら,入射した電子波の位相変化を観測した。
電子波は,人工原子内の電子数が1個変化する際に現れる透過振幅のピークをまたぐ度に位相がπだけ変化する。そして,実験では隣り合う2つの透過振幅のピークの間で,位相にπの跳びが現れて位相が元に戻る場合と,位相が滑らかに積み上がる場合の2つの異なる振る舞いが観測された。
研究グループが調べた人工原子は数十から数百個の電子を含んだものであり,1997年と2005年に行なわれた実験の結果から推定すると,πの跳びが現れる振る舞いのみが普遍的に観測されることが期待される。しかし,研究では2つの異なる振る舞いが観測され,先行実験の結果とは一致しない。
さらに,人工原子の対称性を変化させるなど詳細な実験を行なうことにより,人工原子によって散乱された電子波の位相のずれが,当初の理論予測通りに内部の電子軌道の形に依存することを明らかにした。
この成果は,先行実験よりも広い条件範囲で信頼性の高い位相測定を行なうことによって得られたもので,20年来の課題であった,理論と実験結果との不一致という問題に決着をつけるもの。これにより,人工原子によって散乱される電子波の位相の振る舞いの理解が進展するとともに,位相測定が人工原子の内部構造を探る方法として有用であることが示された。
研究で培った位相の精密測定技術により,今後,散乱位相を通した様々な物理現象の解明が期待されるという。また,この技術を電子波の位相の精密な制御に応用することにより,将来的には量子情報デバイスへの発展が期待されるとしている。