細胞や生体組織を染色することなくイメージングする非標識(ラベルフリー)イメージングの研究に注目が集まっている。ラベルフリーイメージングでは生きたままの細胞の観察や時間経過の把握などメリットがある。ラベルフリーイメージングの実現は,バイオ・メディカル分野における応用研究の進展に対するアドバンテージをもたらすとして期待されている。
今回,非線形光学効果によるラベルフリーイメージングの成果が発表された。筑波大学 数理物質系・准教授の加納英明氏と愛知県がんセンター研究所 腫瘍医化学部・主任研究員の猪子誠人氏を中心とする研究グループによるもので,非線形光学顕微鏡を用いて網膜内の線毛根がラベルフリーで可視化できることを証明した。
線毛根は感覚器に顕著な繊維構造で,視力・聴覚・触覚・力覚などの受容に関わることが知られている。この感覚の働きは哺乳類をはじめ,ハエや線虫,さらには繊毛虫などの微生物にも備わっている機能である。そのため,生きたまま線毛根が可視化できれば,ヒトでの病態評価やモデル生物での感覚機能の理解に役立つと考えられている。
今回,線毛根に着目したことについて,加納氏は「研究はラット眼球の凍結切片を観察するところから始まった。非線形光学効果の第二高調波発生(SHG)で網膜組織を調べたところ,ノイズのような輝点を多数発見した。この輝点の強度スケールをたまたま上げてみたところ,強膜のレイヤーに沿う,これまでにない微弱な信号をはっきりとらえていた。当初はそれが何の信号なのかが分からなかったが,共同研究者の助けを借りてその発生源を分子生物学的に調べたところ,線毛根のたんぱく質と一致した」という。
線毛根は,ルートレティンと呼ばれるたんぱく質が重合した1ミクロン径にも満たない繊維状の構造物で,今回の研究ではこのルートレティンの重合状態を,SHGを用いて特異的に検出した。生体組織では,これまでに真皮のコラーゲンや筋肉組織のミオシン,神経細胞の軸索などでSHG信号の検出例はあったが,ルートレティンはその信号強度が極めて微弱であるため,検出されるとは考えられていなかった。実際,検出した線毛根からのSHG信号の強度は,しろめ部分(コラーゲン)の1,000分の1程度だったという。
検出に利用した非線形光学顕微鏡システムは,1064 nmのCW QスイッチNd: YAGマイクロチップレーザーを用いたスーパーコンティニューム光源(パルス幅800 ps,出力300 mW@33 kHz)を搭載しており,光を2つに分岐したものとなっている。1本は単色光を出力し,もう一方はフォトニック結晶ファイバーによってスーパーコンティニューム光へと変換した後,出力している。加納氏によれば,「この光源は1.1μmから1.7μm付近の近赤外領域で特にスペクトル密度の高い白色レーザー光源となっている。この光源を採用し,コヒーレント・アンチストークス・ラマン散乱(Coherent Anti-Stokes Raman Scattering;CARS)で組織全体を見ながら,非線形光学顕微鏡システム全体の最適化を図った」と語る。この光源はフランスLEUKOS社(http://www.leukos-systems.com/spip.php?rubrique23)が現在,Leukos-CARSとして市販している。
一方,分子同定にはOnefive社製の775 nmのパルスレーザーを導入。これによって,SHGと免疫蛍光染色(二光子蛍光)のマルチモーダルイメージングを可能にした。
実証実験では,線毛を赤く蛍光標識したサンプルを用いたが,非線形光学顕微鏡によってSHGと多重観察を行なったところ,SHGがルートレティンの位置する線毛根部に一致することが明確に示されたという。また,培養細胞に対しても実証実験を行なったところ,中心体付近に位置するルートレティンがSHGで検出されるとともに,ルートレティン欠失細胞ではSHGの消失を確認することができたとしている。さらにルートレティンを大量に導入した細胞は,電子顕微鏡下で繊維構造の増加を認めるとともに,導入しない細胞よりも相当に強いSHGを観測できたとする。
加納氏は成果について,「今回,非線形光学顕微鏡で幅広い生物種の感受構造の可視化を実現できた。今後も,生体組織の中で埋もれてしまい,いまだ解明されていない重要なたんぱく質のフィラメント状構造に代表されるような様々なアーキテクチャを,微弱なSHGでとらえることができる可能性を示したと考えている」と語る。
その期待は大きく,光・レーザーによる生体イメージング研究を主導する北海道大学電子科学研究所・ニコンイメージングセンター・センター長/教授の根本知己氏は,「この成果は,今までは困難であった線毛根という微細構造の非標識観察が,SHGを用いることで初めて可能になったというものである。本手法には,染色等の操作無しに,未踏の生体組織内構造を描出させる潜在力があり,がん研究を含む多様な生命医科学との橋渡しが期待できることから,極めて意義の大きい成果であると言える」と語っている。◇
(月刊OPTRONICS 2017年3月号掲載)