或る本で『真に科学を理解し,科学を愛した国家元首は他に現れていない…』と,ナポレオン三世(1808−1873)を称えていました。しかし,どっこい日本には八代将軍徳川吉宗(1684−1751/将軍在位期間:1716−1745/図1)がいました。それもナポレオン三世より1世紀前です。そのような側面は当時の禁書令の緩和などからも見えてきます。科学への興味と理解を持っていた吉宗ならではの判断です。今回はそんな吉宗を追ってみました。
吉宗は徳川御三家とされる紀州の二代藩主徳川光貞(1627−1705)の四男として1684(貞享1)年に生まれています。14歳の時に越前国の葛野藩主となり松平頼方と名乗っていましたが,1705(宝永2)年に兄や父が相次いで亡くなり若くして紀州五代藩主を受け継ぎ徳川吉宗と改名しています。吉宗は藩の状況を憂えて改革を始めます。財政再建の為に機構を簡素化し,質素倹約を徹底し,1707(宝永4)年の宝永地震での甚大な被災対応でも手腕を発揮しています。
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