1. はじめに
サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合したSociety 5.0の未来社会実現に向けて,フィジカル空間の情報をサイバー空間に伝達するための多様なセンサーシステムを開発することが求められている。衝撃や摩擦などの機械的刺激は,フィジカル空間に普遍的に存在する入力信号であるが,物体に加わった機械的刺激を高感度・高分解能に検出するセンサーの開発は発展途上である。金属の電気抵抗を利用した歪みゲージや,光ファイバー式の圧力センサーなどは既に開発されているが,測定可能な対象物の形状に制限があり,亀裂発生時に断線することが問題となっている。
機械的刺激を加える前後で,光励起により生じる発光(フォトルミネッセンス)の色が変化するメカノクロミック発光(MCL:Mechanochromic Luminescence)現象は,機械的刺激を検知するセンサーへの利用が注目されている。フォトルミネッセンスを利用したセンサーは,非接触で計測できる利点があり,光吸収に基づく見た目の色の変化を利用する比色センサーよりも高感度な応答性を示すことが期待される。有機結晶による典型的なMCLでは,薬さじでこするなどの機械的刺激を加えると蛍光発光波長が長波長化し,機械的刺激付与後の状態に加熱や有機溶媒の曝露といった第2の刺激を加えると元の発光色を示す状態に戻る1, 2)。
筆者は,機械的刺激を加えることで変化した発光色が室温下で自発的に元の発光色に戻る自己回復性MCLを示す有機結晶を見出したことを契機として3),MCLを示す有機結晶に関する研究を広く展開している4)。本稿では,まず,ドナー・アクセプター型分子による自己回復性MCLについて紹介した後,機械的刺激により発光波長が大幅に変化する自己回復性MCLを合理的に実現した例5)について述べる。
2. ドナー・アクセプター型分子による自己回復性MCL3)
2.1 分子1aの発光特性
一般に,希薄溶液中では効率良く発光する有機分子であっても,高濃度溶液中や固体状態では濃度消光が起こり,発光強度が大きく低下する。筆者らは,窒素原子上にtert-ブトキシカルボニル(Boc)基を有するインドール環をベンゾチアジアゾール環と結合した1aが,溶液中および粉末状態のどちらにおいても高い効率で発光することを見出した(図1)。希薄トルエン溶液(1.0×10–5 M)中で1aは,電子ドナー性のインドール環から電子アクセプター性のベンゾチアジアゾール環への分子内電荷移動型吸収による吸収極大波長を378 nmに示し,緑色の蛍光(蛍光極大波長:λem=513 nm)を発した。蛍光量子収率(ΦF=発光した光子数/吸収した光子数)は0.79と良好な値であった。また,1aは溶媒分子の極性に応じて発光色が変化する蛍光ソルバトクロミズムを示し,ヘキサン中では青色(λem=480 nm),ジメチルスルホキシド中では黄色(λem=570 nm)に発光した。一方,粉末状態の1aは,紫外光照射下でトルエン中と同様の緑色に発光(λem=525 nm)し,蛍光量子収率は0.67と固体状態としては高い値であった。
粉末状態の1aは結晶性粉末であり,別途調製した単結晶のX線構造解析を行うことで,結晶状態における分子配座と分子配列様式が明らかとなった(図2)。結晶状態において1aは,隣接する2分子同士がベンゾチアジアゾール環同士を逆平行にして積層していた。ベンゾチアジアゾール環同士の距離は3.39 Åであり,典型的なπ-スタッキングの距離であった。また,ベンゾチアジアゾール環とインドール環の2面角は52.85°であり,積層したベンゾチアジアゾール環の上下にBoc基のtert-ブチル基が位置していた。このため,さらなる積層による濃度消光が抑えられ,効率良く発光したと考えられる。