1. はじめに
赤外吸収分光を利用した成分検出は,微量分子の存在を直接的に観測するため,高感度で高速なセンシング手法といえる。赤外吸収分光を利用した分子構造解析や環境モニタリング,危険物の遠隔検出,生体計測,医療診断などは,学術分野のみならず社会的に重要なセンシング技術に位置づけられる。また,光ファイバーをセンサー化した光ファイバーセンサーは,小型・軽量で長距離伝送が容易なことから,過酷環境や狭小環境において遠隔性に優れた次世代センシングデバイスとして発展が期待されている。著者らは,赤外吸収分光と光ファイバーセンサーとを組み合わせた「赤外光ファイバーセンサー」を構築することで,リアルタイム性と高い感度を両立した小型で安価な遠隔センシングデバイスの実現,延いては社会実装を目指している。
一般的に普及している石英ガラスから成る光ファイバーは,波長が2.4μmよりも長い中赤外領域における材料吸収が大きく,赤外吸収分光に使うことができない。一方で,中空構造の光ファイバーを使った赤外吸収センシングが医療用途の計測技術として実証されている1)。この技術では,低波数(遠赤外)領域における分光が可能であるが,伝送損失や曲げ半径の制限などの課題が残されている。そこで著者は,波長~5 μmの中赤外域で低光損失なフッ化物ガラス光ファイバーを導波路としたセンサーデバイスを新たに提案した2)。中赤外でも,特に波長3~5 μmの領域は,大気中での減衰が小さな「大気の窓」であるとともに,多くの重要な分子の吸収が多数存在する「指紋領域」にも該当するため,センシングに適している。このような中赤外の光ファイバーセンサーの開発には,光ファイバーとの光結合効率が高く,高輝度な安定光源が不可欠である。しかしながら,この条件を満たす安価で実用的な赤外光源はこれまでに例が無く,そのことがデバイス開発の障壁となっていた。
2. 広帯域な中赤外ASE光源の開発
前述の課題解決のため,著者はまず,フッ化物光ファイバーデバイスとの親和性に優れた,分光計測用の広帯域中赤外光源の開発を令和2年度に試みた。本研究では,従来になく長波長な中赤外域において極めて広帯域で,高輝度・高安定な自然放射増幅(ASE)光源を,小型で安価な構成にて実現した。ASE光源とは,希土類金属イオンなどが発する広帯域な蛍光を誘導放出によって増幅した光源である。レーザーの一種であるが,一般的なレ ーザー光源と比較してスペクトル幅が広くインコヒーレントな性質をもつ。ASE光源の特長として,波長当たりの輝度が高く,出力・スペクトル安定性に優れていることが挙げられる。そのため,分子構造解析など学術研究のほか,光学素子の評価,ガスセンシング等の分光計測用途に適している。さらに,ビーム品質に優れ,シングルモード光ファイバーとの結合が容易なことから,ファイバー・ブラッグ・グレーティングを利用した各種光センサーや,光通信,並びに今後普及が予想される光ファイバーセンサー用光源として極めて高い優位性を発揮する。現状,通信波長帯(波長1.3 μm,1.5 μm)のASE光源が大半であるが,最近,波長2.0 μm近傍のファイバーASE光源が製品化された3)。2 μmよりも長波長のものは希少で,上市されていない。
希土類元素であるジスプロシウム(Dy)は,エルビウム(Er)やホルミウム(Ho)と比較して波長3 μm近傍における蛍光スペクトルが広いという利点を有し,誘導放出断面積の大きさや蛍光寿命の長さもレーザー利得を得るに十分である。ところが,吸収波長の制限により,安価で高出力な半導体レーザー(LD)での励起が困難であることが,Dyを活性元素としたレーザー及びASE光源開発の最大の障壁となっていた4)。一方でErは,波長976 nmの汎用LDでの光励起が容易である。そこで著者は,ErとDyを共添加したZr系フッ化物(ZBLAN)ガラス材料を新たに作製し,最適化した添加濃度条件において,ErからDyへのエネルギー移動が効率的に生じることを見出した5)。このガラスをコア材に用いたダブルクラッド型ZBLANファイバーを作製し,図1に示す構成でLD励起のASE光源を構築した。この光ファイバーは,コア径が15 μm,第一クラッド径200 μm,樹脂からなる第2クラッドの直径は400 μmであり,コア及び第一クラッドの開口数はそれぞれ0.12 と0.5に設計した。このとき,ASEモード(コア)はシングル横モードであり,カットオフ波長は3.2 μm近傍と推定される。励起光源には,汎用的な波長976nmのファイバー結合型マルチ横モードLD(出力5W)を用い,出力ファイバーのコア径は105 μmであるため,ZBLANファイバーの第一クラッド(直径200 μm)と容易に結合可能である。第一クラッド励起における吸収係数は約2.0dB/mであり,必要長,利得と発熱のバランスに優れたファイバー設計となっているため,励起パワー5Wでの運用で,メンテナンスフリーでの長期安定性が確保されている。
開発した中赤外ASE光源のパワースペクトルを図2に示した。波長2.7 μmの急峻なピークはErを発光中心としたASEであり,3.1 μmを中心波長としたブロードなピークはDy由来のASEである。本ASE光源は,波長2.5~3.7 μmに亘って連続的なスペクトルで安定して出力しており(-10dBm/μm基準),スペクトル幅は1220 nmに及んだ。これは従来のASE光源の常識を覆すほどの広い帯域幅であり,エネルギー幅に換算しても1300 cm-1(0.16eV)と極めて大きい結果となった。出力は最大で3mWであり,分光用途のASE光源では十分に高出力である。ビーム品質の指標となるM2因子は1.1 ~1.3と高品位であり,出力3mWであることを考慮すると,非常に高輝度な光源といえる。この結果から,この光源は,ほぼ光損失なくシングルモード光ファイバーとの光結合が可能であることが示唆された5)。
本ASE光源技術の最大の優位点は,これまでLD励起では得ることのできなかったDyのASEが,汎用的な976 nmの LDでの励起で取得可能になったことである。より簡便でメンテナンス性に優れたクラッド層励起を採用したことで,極めて安価で小型,ロバストな装置構成で, Er系のASE光源を遥かに凌駕するスペクトル特性の超広帯域光源が実現した。光源性能上の利点としては, ①センシングに重要な波長帯において従来になく広帯域であること,②出力・スペクトルが安定でビーム品質が高く光ファイバー結合が容易なこと,③小型で安価なことが挙げられる。近年,LDの小型化・低価格化が進んでおり,本光源をパッケージ化した場合,原価わずか~20万円程度で,スマートフォンサイズまで小型化可能と見込まれる。本光源と波長特性・ビーム品質の類似した中赤外スーパーコンティニウム光源の市場価格は,1000万円以上と高額で,サイズもビデオデッキ程であることから考えると,本技術は赤外光源分野における大きなブレークスルーをもたらし得るものである。今後,赤外光ファイバーセンサー等のデバイス開発が進めば,当該光源の需要がより一層拡大すると見込まれる。これまで不在であった赤外光ファイバーデバイス用の実用光源の登場に促される形で,センサーデバイスの開発も加速することが期待される。