2. 合成の指針
図2にフタロシアニンの一般的な合成方法を示した。ジシアノベンゼン誘導体(フタロニトリル)に対して,求核剤を作用させると分子内環化が進行する。生成する中間体も求核性を持つため,別な分子と反応し多量体を形成する。ここまでは一般的なポリマー合成のメカニズムであり,一見無秩序に重合が進行するようにも見えるが,フタロニトリルの場合環状四量体が特異的に安定であるため,目的のフタロシアニンが得られるというわけである。よりフタロシアニンの収量を上げる方法として,鋳型となりうる金属塩を共存させる手法がしばしば用いられる。フタロニトリルと金属塩の相互作用により4量体を選択的に安定化させることが鍵である。
また,フタロニトリルにアンモニアガスを作用させることで得られるジイミノイソインドリンはより反応性が高い前駆体であることが知られている。この前駆体は分子内に二ヶ所の求核部を持つことが知られている。ここで私どもは新たな前駆体として,ベンゾニトリル誘導体を設定した。この前駆体に対し適切な鋳型金属塩の存在下ジイミノイソインドリン誘導体と反応させれば新たな金属錯体が得られるのではないかと期待した。
実際には一般的に八面体型六配位構造を取る二価ルテニウム塩を鋳型とし,ジイミノイソインドリンの類縁体であるピロリンジイミン誘導体とベンゾニトリルを縮合させる検討を行なった。様々な検討の結果,ベンゾニトリル誘導体,ピロリンジイミン誘導体および三塩化ルテニウムをN,N-ジメチルアミノエタノール中で加熱縮合することで,新規窒素三座配位子を持つボール型のルテニウム錯体が合成できることを見出した(図3)。後述するように,本錯体は700 nmを超える領域に極めて強い(モル吸光係数が104 cm–1M–1を超える)吸収帯を持ち,対応するフタロシアニンルテニウム錯体のQ帯より長波長側に位置することが分かった。
この錯体はピロリンジイミン誘導体2つ,ベンゾニトリル誘導体4つおよびルテニウム塩のパーツが組み合わさることで構成される。ならば,パーツを変えれば別の錯体も合成できるはずである。実際にいくつかの異なる誘導体を使っても問題なく合成できることが分かっている。また,ピロリンジイミン誘導体の代わりにジイミノイソインドリン誘導体を用いれば,π拡張された錯体が合成できる。もちろん,修飾されたジイミノイソインドリン誘導体も利用可能である。
3. 錯体の構造解析
有機合成化学者が材料を開発した際,まず気になる点は光特性より「本当に想定した構造ができているのか」という点である。ここでいう構造とは炭素や水素,金属イオンなどがどのように結合しているかという観点である。今日では様々な手法が知られており,特に近年はノーベル賞の受賞理由にもなった電子顕微鏡技術の急速な進展により,複雑な生体有機分子の構造を直接観測することも夢物語ではなくなっている。一方,私どもが主なターゲットとしている有機金属錯体の構造決定においてはもう少し簡便な,例えば単結晶X線構造解析を用いることが多い。図4には単結晶X線構造解析により決定した新規ルテニウム錯体の構造を示す。当初想定したボール型の錯体構造と同一のものが可視化されていることがお分かりいただけると思う。