高速波長可変レーザーと広帯域光音響顕微鏡

3. 高速波長可変レーザーの開発

複数波長のパルスレーザー光を発生させる代表的な手法としては,利得が広帯域で得られるレーザー結晶を用いて波長可変レーザーを構築する手法と,非線形光学結晶によりレーザー光の波長を変換する波長変換器を用いる手法がある。一般的にはどちらの手法においても波長選択素子を機械的に動かす必要があるため,波長が安定するまでに1秒程度かかってしまう。しかし,我々のチームでは波長可変レーザーと音響光学波長可変フィルターを組み合わせることによって,0.1 ms以下で任意の波長に切り替えることができる高速波長可変レーザーを実現した14, 15)。この技術をPAIに適した光源として使えるように,広帯域光源に対応した顕微鏡光学系を含めて装置開発を進めている。

3.1 広帯域電子制御波長可変レーザーの開発
図3 高速波長可変レーザーを搭載した光学分解能光音響顕微鏡16, 17)
図3 高速波長可変レーザーを搭載した光学分解能光音響顕微鏡16, 17)

我々がマイクロ可視化システムと呼称しているOR-PAMで用いられるレーザーとして,10 ns以下の短いパルス幅が得られる完全空冷波長可変レーザーを開発した。このレーザーは半導体レーザー(LD)励起Nd:YAGレーザーを励起光源とし,“生体の窓”と呼ばれる光が生体を透過しやすい近赤外波長域で利得が得られるチタンサファイア結晶を用いている。OR-PAMは,レーザー光を集光し,集光点から発生する超音波を超音波探触子で受信するPAI装置であり,レーザー光と超音波探触子を同時に走査することで3次元画像を得ることができる。高速波長可変性を実現するために,チタンサファイアレーザーの共振器内に波長選択素子として音響光学波長可変フィルターを挿入した。

この音響光学素子は側面に貼付された圧電素子により透明な結晶内に粗密波を発生させ,電気的に粗密波の周期を制御することができる。この粗密波は,透過型の回折格子として働くために,特定の波長の光を入射角とわずかにずれた角度に回折する。この回折光に対して,共振器を構成することにより,電気的な波長の高速選択が可能となった。回折角度補償用プリズムの角度・材質を見直すことにより,波長可変域を我々のチームでこれまで開発してきたレーザーと比較してさらに広帯域化し,700−1100 nmまで拡張した。そして,コンピュータ制御により,5 kHzで出射されるパルス毎に波長域全域においてレーザーの波長を任意に選ぶことが可能である16, 17)。このレーザーは共同研究機関である東北大学 西條研究室にて開発されたOR-PAM(図3)に搭載された。

光音響顕微鏡の種類には,OR-PAMとは別に,AR-PAMがある。OR-PAMの分解能はレーザー光の集光スポット径に依存しているため,AR-PAMと比較して高分解能を得ることができる。しかし,高散乱体の深部イメージングにおいては,散乱の影響により分解能が劇的に悪化してしまう。そこで,レーザー光と比較し波長が長く散乱の影響を受けにくい超音波において,音響レンズにて分解能を向上させるAR-PAMが用いられる。AR-PAM用レーザーにおいては,深部まで光が届くようにOR-PAM用レーザーと比較し,より高パルスエネルギーが必要となる。そこで,パルス幅は若干長くなるために分解能低下が懸念されるが,励起レーザーを高パルスエネルギーが出力可能なLD励起Nd:YLFレーザーに変更した。高出力に対応するために水冷化し,波長可変域は700−950 nmにおいて,繰り返し周波数1 kHz,最大出力>1 mJを達成した18)

3.2 特定波長選択によるレーザー小型化技術の開発
図4 (a)非線形波長変換方式による2波長交互発生19)
図4 (a)非線形波長変換方式による2波長交互発生19)

さらに我々は社会実装を目的とし,レーザー実用化機関である株式会社メガオプトや,マイクロ可視化システム開発機関である株式会社アドバンテストと,小型化・高安定化・高効率化・低コスト化・長寿命化を目指した開発仕様を協議し,目的とする計測対象に特化した選択波長可変レーザーの開発を行った。PAIでは二種類の物質の吸収係数が等しくなる等吸収点に近い波長と,等吸収点と同程度の吸収係数ではあるが二種類の物質の吸収係数が異なる波長で計測を行うことで,二種類の物質の吸収比に比例した光音響波強度により濃度比を求めることができる。そこで,比較的浅い部分における酸素飽和度の計測を行うために,計測対象は酸化ヘモグロビンと還元ヘモグロビンとし,図1に示した吸収係数の波長依存性より目標波長を532 nmと578 nmに定めた。

図4 (b)非線形波長変換方式による2波長発生装置外観19)
図4 (b)非線形波長変換方式による2波長発生装置外観19)

社会実装においては製造におけるロバスト性や部品入手性等,研究では重視されない項目をも評価される。そこで方式が全く異なる複数構成(ラマン発生・直接発振・非線形波長変換)における概念実証実験を行い,汎用性や実用化機関との親和性が高く,実用化に近い結果が得られた非線形波長変換方式を採用した。図4(a)(b)に示す通り,非線形波長変換方式とは,比較的市場に出回っているNd:YAGレーザーやNd:YVO4レーザーの第二高調波である波長532 nmを発生させるレーザーと,このレーザーを励起光源とし,非線形光学結晶である擬似位相整合波長変換素子を用いた波長変換により,小フットプリントで578 nmを発生させる方式である。試作において目標仕様である20μJ以上の出力が2波長において高繰返し(1 kHz)で得られたため19),レーザー実用化機関に技術移管した。

図5 ワイドフィールド可視化システム用LD励起Nd:YAGレーザー
図5 ワイドフィールド可視化システム用LD励起Nd:YAGレーザー

ワイドフィールド可視化システムと我々が呼称しているPACTにおいても,レーザー実用化機関及びシステム開発機関であるキヤノン株式会社と協議し,低繰返し・高出力・2波長切り替えレーザーの開発仕様を定めた。このレーザーは実用化機関と開発を分担し,理化学研究所では,図5に示した目標仕様(20 Hz,400 mJ@532 nm)を満たしたLD励起Nd:YAGレーザーを開発し,レーザー実用化機関に技術移管した。レーザー実用化機関においてはフラッシュランプ励起Nd:YAGレーザーを励起光源とした,パルスエネルギー100 mJ,パルス幅20 ns以下,波長756 nm及び797 nmを20 Hzで交互照射可能な超小型波長可変パルスレーザーの開発に成功しているため20),今後は励起レーザーを技術移管したLD励起方式に置き換えることで更なる高繰返し化が期待される。

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