3. 紫外線を反射する微細構造
ワックスの分泌に伴い,どのような変化が生じるかを走査型電子顕微鏡で調べたところ,成熟オスでは,体表が花びらのような板状の構造で覆われることが明らかになった(図4下)。微細構造を詳しく調べたところ,成熟オスでは幅2〜3 μm,厚さ50 nm程度の板状のワックス構造が約6 μmの厚さで体表を覆っているのに対して,成熟メスでは,表面が幅100 nm,高さ200〜300 nm程度のナノピラー構造になっていることが確認された(図5)。
成熟オスの板状の構造(最大2〜3 μm)はUVおよび可視光の波長よりも大きいため,これらの光を散乱させることができるが,成熟メスのナノピラー構造はUV光の波長よりも小さいため,光を散乱させることができないことが示唆された。なお,分泌されたワックス層による光の散乱が,成熟オスの白っぽい体色および紫外線反射の原因であることは,アセトンの塗布によって光の散乱を妨げると黒色に変化し,アセトンの蒸発とともに即座に白色が出現することからも確かめられた6)(Futahashi et al., 2019)。
4. 紫外線反射ワックスの正体
それでは,シオカラトンボの「紫外線反射ワックス」の正体は何であろうか?ガスクロマトグラフィー−質量分析(GC-MS)法によって,ワックス成分の同定を行ったところ,シオカラトンボの成熟オスの腹部背側では,3種類の極長鎖メチルケトンと4種類の極長鎖アルデヒドが主成分であることが判明した(図6)。意外なことに,シオカラトンボのメス腹側のワックス成分を調べたところ,極長鎖メチルケトンは検出されず4種類の極長鎖アルデヒドが主成分であった。
成熟メスの腹側は,成熟オスの背側と比較すると紫外線反射の程度が弱かったが(図3,図4),極長鎖メチルケトンの有無がこの違いを産み出している可能性が考えられた。また,興味深い点として,極長鎖メチルケトンもしくは極長鎖アルデヒドを主成分としたワックスは,これまで他の生物からは知られておらず(他の生物では脂肪族炭化水素,長鎖エステル,アルコール,遊離脂肪酸などが主成分として知られる),シオカラトンボが分泌するワックスは特殊な組成であることが判明した6)(Futahashi et al., 2019)。
5. 人工合成した紫外線反射ワックス
最も強い紫外線反射が見られたシオカラトンボの成熟オスでは,極長鎖メチルケトンがワックス主成分であったことから,極長鎖メチルケトンは紫外線反射率の向上に寄与している可能性が考えられた。そこで,最も多く含まれていた極長鎖メチルケトンである2-ペンタコサノンを化学合成して,再結晶化させたところ,トンボの体表とよく似た微細構造が自己組織的に生じ,強い紫外線反射能や撥水性(接触角がおよそ160°)が再現できることが明らかになった(図7)。
なお,紫外線反射や撥水性の程度は,再結晶化の手法によっても異なり,ヘキサンに溶解して微量滴下と乾燥を繰り返して再結晶化させた場合(滴下)に,トンボと類似した微細構造が見られると同時に,最も強い紫外線反射と撥水性が確認された(図7)。これらの結果から,紫外線反射と撥水性は,表面微細構造と密接な関係があることが確認された。