2.2 誘導ラマン散乱
ところが自発ラマン散乱は信号強度が弱く,積算に時間が掛かる。高速にラマン散乱を観測する方法にパルスレーザーを用いる誘導ラマン散乱法がある。この方法では2つの波数,ω1とω2のパルスレーザーを試料に照射する(図1(a))(ω1>ω2とする)。このとき,ω1とω2の差が分子振動準位差に一致すると(図1(b)),ω1の光子がω2の光子に変換される。ω1の強度減少を誘導ラマン損失,ω2の強度増加を誘導ラマン利得と呼ぶ。この強度変化は典型的には入射光強度の10–4程度と微小である。
従って,そのまま強度比を測定しようとすると,背景光にある光源の強度揺らぎ(強度雑音)がS/Nを大きく劣化させる。そこで,片方の光(ポンプ光)を強度変調し,もう片方の光(プローブ光)をその強度変調周波数でロックイン検出する方法が取られる10, 11)。ロックイン検出により,帯域制限し,観測に不必要な周波数にある雑音を除去することでS/Nを改善する。誘導ラマン過程による強度変化は背景光と比べると微小であるが,自発ラマン散乱に比べると信号の変化そのものは大きい。条件を整えるとS/Nは1000倍程度に大きく12),高速な測定が可能である13)。
2.3 誘導ラマンスペクトル測定
ところが,誘導ラマン散乱の測定では二つのパルスレーザーを同期させる必要があり,システムが複雑で高価になる。さらに,波数を固定すると一つの分子振動バンドしか観測できない。誘導ラマン散乱の高速性を活かしたスペクトル測定のために波長を高速に掃引する方法もあるが14),光学系が複雑になる。そこで,プローブ光を白色パルスレーザーとし,分光計測することでスペクトルを得る方法がある(図1(c))15〜18)。光学系を図2に示す。パルスレーザーを分割し,片方は高非線形フォトニック結晶ファイバー(PCF)に入射する。
PCFはシリカのコアの周りに周期的な空孔が設けてあるもので,この周期的な空孔(フォトニック結晶)がコアにパルス光を強く集中させ,高い非線形性を発現する。この高い非線形により白色パルス光を生成し,プローブ光(Pr)とする。偏光ビームスプリッタ(PBS1, 2)や参照光Rfに関しては後述する。もう一方のパルス光はポンプ光(Pu)とする。光学遅延調整により,Prとタイミングを合わせて,チョッパーで強度変調を与えたうえで試料に入射する。
試料からの透過光は分光器へ入射する(図3(a))。分光されたスペクトルは長方形状に束ねられたファイバーバンドル(FB)の端面に照射される。ファイバーバンドルは波数毎に光を分割して,各々のアバランシェフォトダイオード(APD)に入射される(検出器群)。それぞれのAPDからの信号が並列的にロックイン検出されることで,波長掃引することなく,誘導ラマンスペクトルが得られる。ここで,観測する波数は128個である。測定した試料はポリスチレン(PS),ポリメチルメタクリレート(PMMA),シクロヘキサンとした。それぞれの自発ラマンスペクトルを図3(b)に示す。本システムで測定したスペクトルは図3(c)であり,自発ラマンスペクトルと一致した。
すなわち,本システムにより,確かに誘導ラマンスペクトルが取得できたことが分かる。ここでPrとPuの光源は共通であり,パルス同期は必要ないことはシステムを単純にし,堅牢性に寄与している。ところが,大きな非線形性により生成された白色パルス光は強度雑音が非常に大きく,ロックイン検出を用いても積算に時間が掛かった(これらスペクトルは10秒の積算で得たものである)。結果として,誘導ラマン分光法の信号強度が大きいメリットを活かすことができなかった。