我々人間を含め動植物などは,膨大で多種多様の細胞で構成されている。これらの細胞は異なる個性を持ち,中には病気の原因となるものも存在すると言われている。膨大な細胞集団の中から病気の原因となるような希少な細胞を発見するためには,細胞を一つずつ,高速に正確な計測を行なう必要がある。
これを可能にする手法を,東京大学大学院理学系研究科・助教の井手口拓郎氏と,教授・合田圭介氏らの研究グループが開発した。フェムト秒レーザーを含む光学技術を巧みに利用し,これまでの最速手法に対して20倍以上の高速性能を持つラマン分光法だ。
開発は,内閣府総合科学技術・イノベーション会議が主導する革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)の研究開発プログラム(プログラムマネージャー・合田圭介氏)「セレンディピティの計画的創出による新価値創造」の一環として取り組んだ。ImPACTでは16件のプログラムが推進されており,予算総額は550億円だが,この研究開発プログラムの予算額は約30億円となっている。
光を用いて分子の振動状態を観測するラマン分光法は,計測する行為そのものが試料にダメージを与えることなく計測できる手法として注目されている。そのメリットは大きいものの,一般的なラマン分光法は計測に要する時間が長いため,高速計測の用途には不向きとされていた。
井手口氏(ImPACTチームリーダー)によると,これまでのラマン分光法において,計測速度に制限をかけていたのは分光器だという。光のスペクトルを空間的に分離し,複数のピクセルが並んだCCDアレイで検出するというものだが,この検出器では概ね1ミリ秒毎しか測定できないとし,「分光器を使っている以上は,このリミットを超えることができない」としている。
今回開発した手法では分光器を使用せず,一つのピクセルで検出するフォトディテクターを採用し,それによって広いスペクトルを取得するため,フーリエ変換分光法を取り入れた。
開発した手法による計測原理だが,まずフェムト秒レーザーの光を半分透過し,半分反射するビームスプリッターで分岐させ,二つのパルス光を作り出す。その後,再びこの二つのパルス光を空間的に重ね合わせるが,分岐された二つのパルス光はそれぞれ長さの異なる光路を通るので,時間的にズレが生じる。ラマンスペクトルは最初のパルス光が分子を振動させ,二つ目のパルス光がその振動を読み取るという作業のパルス間隔を変えて繰り返し,フーリエ変換することで取得する。
「フーリエ変換を使った手法はこれまでにもあったが,測定速度が遅かった。これはパルス光の遅延の間隔をミラーの乗ったステージを物理的に動かしてスキャンさせるためで,1秒間に数回程度しかスキャンができない」(井手口氏)というフーリエ変換分光法の弱点を指摘している。
これを高速にしたのが,今回の成果に至るポイントの一つである。1秒間に約1万2,000回のスキャンを可能にするというレゾナントスキャナー(共振型ミラー)を採用したことだ。
このスキャナーは走査型顕微鏡などにも利用されているものだが,高速に角度が変化するミラーで,今回この角度の変化を光の遅延に置き換える光学系を組み込んだ。これにより,1回の測定スピードを高めたという。