1. はじめに
レーザーの産業応用は今や数知れず,それぞれの用途に適したレーザーの波長やエネルギー,パルス幅,繰り返し周波数のものが選択されている。中には社会の要求に応じて,10年前に比べると桁違いにレーザー出力や強度が上がったものも多い。しかし,それらのレーザーシステムに使用されているミラー,レンズ,回折格子などの光学素子についてはどうだろうか。
誘電体多層膜ミラーなど一部の光学素子の中にはこの10年間で1桁程度レーザー耐力が上がったものもあるが,全体としてはとてもレーザー発展のスピードと同じように進歩しているとは思えない。にも関わらず多くの場合には,まず使用するレーザーを決定し,その次に既製品の光学素子を購入して使用する,ということしか考えられていないのではないだろうか?光学素子のカタログにはレーザー耐力(損傷閾値)が書かれているが,その値そのままで使用する人はまずいないであろう。
まずはカタログ値の1/10くらいのレーザー照射強度で使ってみて,ちょっと無理をして1/2くらいの強度で使ってみると,暫くしてから光学破壊が起こってしまった。仕方がないので取り換える,もしくは設計を変更してビーム径を広げてみる,というような経験をしたことはないだろうか?
ここでレーザーの発展を振り返ってみると,産業応用のレーザーではスループットが要求されるために平均出力はどんどんと上がってきている。例えば半導体製造プロセスや自動車産業ではkW以上のレーザーが利用されている。パルスレーザーでも,1 JレベルのものがkHzで稼働する時代になってきている。研究レベルのものに至ってはさらにその数桁上のレーザーが開発され,現在最大エネルギーのパルスレーザーは米国の国立点火実験施設(National Ignition Facility:NIF)にあり,2 MJの固体レーザーが使われている1)。
わが国ではレーザー加速を使ったがん治療加速器の開発なども社会実装に向けて進められているが,欧州の加速プログラムでは数Jレベルの超短パルスレーザーが15 kHzで稼働することを目指した研究開発まで行われている。こうなると産業で使用されるレーザーの出力や強度もこれからさらに増加していくことは容易に想像できるが,このまま光学素子の耐力が上がらなければ,使用するビーム径はどんどんと大きくなり,小型化には向かないものになってしまう。
現在の光学素子は,ほぼすべてで固体が使われている。それは光学研磨の技術が素晴らしく,光学面を波長の1/10程度で仕上げることができるからである。しかしガラスや結晶などのこれらの素子は,損傷すると永久ダメージとなって再生できない。すなわち交換するしか手がない。このため,使用者は大きな安全係数を考慮せざる得なくなる。損傷閾値200 J/cm2のミラーを買ってきても実際に使うのは20 J/cm2。この1桁の係数がビーム断面積を10倍にしていることはあまり問題になっていないが,将来はどうであろうか?
では今,何が必要か。ようやく本題となるが,本研究ではこの課題を本質的に改善するために,従来にはなかった全く新しい高耐力レーザー光学素子の開発を行った結果を紹介している。もはや壊れてしまう固体ではなく,壊れない・壊れたとしても直ちに再生可能な気体を媒質とした光学素子の開発である。気体は境界がシャープにならないので精密な光学素子はできないだろう,と思っている読者の皆様方は,これを聞くと驚かれると思う。