東京大学,広島大学,量子科学技術研究開発機構は,スピネル物質HgCr2Se4における電子の振る舞いを解明した(ニュースリリース)。
量子力学の法則では,電子の持ちうるエネルギーは運動量ごとに決まっており,また離散的(とびとび)であることを要請する。この関係がバンド分散であり,バンド分散は固体中の電子の振る舞いを議論する基盤となる。
近年では,バンド分散の形状に由来して物質が特異的な性質を有することが分かり,そのような物質の探索が精力的に行なわれている。その中の一つに,2つのバンドが3次元運動量空間の1点で交わる「ワイル点」がある。
この交点にはプラス・マイナスの符号をつけることができ,その様子が素粒子物理学の「ワイル粒子」に似ていることから「ワイル点」という名前で呼ばれている。ワイル点をフェルミエネルギー付近に持つ物質は大きな異常ホール効果を示し,その巨大な応答はデバイス応用の可能性も期待されている。
「固体中のワイル粒子」ともいえるワイル点の存在が初めて理論的に提案されたのが,この研究の対象物質である磁性スピネルHgCr2Se4。その後,大きな異常ホール効果などの電子輸送現象を示す物質が発見され,そのバンド分散にワイル点が存在することが確かめられてきた。
しかし,HgCr2Se4については,理論的な提案から10年以上経ってもワイル点を実験的に観測したという報告はなされていなかった。
研究では,SPring-8においてHgCr2Se4に対する光電子分光実験を行ない,世界で初めてこの物質のバンド分散を観測することに成功した。得られたバンド分散には理論的に予測されていたワイル点は現れなかったことから,予測されたワイル点を有する磁性金属ではなく,磁性半導体であることが明らかとなった。
そのため,理論と実験の違いがどこから生まれたのか,議論する必要があった。先行研究で行なわれていたバンド分散の計算は,第一原理計算を用いて行なったが,この手法は完璧とはいえず,特にエネルギー汎関数については現在も試行錯誤が重ねられている。
そこで,先行研究とは異なる精度の高いエネルギー汎関数を用いることで,実験で得られたワイル点を持たないバンド分散を再現することに成功した。この結果は,ワイル点を持つことが予測されていたHgCr2Se4は,実際にはワイル点を持たない物質であるということを実験・計算の両面から実証したといえる。
研究で用いた手法は,理論予測の精度を向上させる指針になることが期待される。研究グループは,物質探索においては予測だけでなく,実験により検証することの重要性を体現した研究成果だとしている。