東京大学の研究グループは,オンサーガー代数と呼ばれる数学的構造を応用して,従来報告されてきたものとは異なる機構で量子多体傷跡状態が生じる模型が構成可能であることを示した(ニュースリリース)。
自然界に存在する通常の物質は,時間とともに然るべき状態へと落ち着いていく。この過程は熱平衡化と呼ばれ,マクロな系で普遍的に見られる現象であると信じられてきた。
ところが,近年,異様な長時間のあいだ熱平衡化しない量子多体系が実験的に発見されたことを契機として,熱平衡化が著しく遅い,あるいは全く起こらない「量子多体傷跡状態」と呼ばれる不思議な状態についての理論的研究が行なわれるようになった。
量子多体傷跡状態は,熱平衡化を示さないという点で,従来の統計力学の常識に反しているうえ,中には「温水中の氷が解けたり凍ったりを繰り返す」ような異様な振る舞いをするものもあり,大きな注目を集めている。
研究グループは,今まで提案されてきたものとは異なる新しい機構で量子多体傷跡状態が生じる数理モデルを構成した。この構成において重要な役割を果たすのが,オンサーガー代数と呼ばれる数理的概念で,統計力学では非常に有名な2次元イジング模型が初めて厳密に解かれた際に,ラルス・オンサーガーによって見出された構造。
オンサーガーによる厳密解以降,オンサーガー代数は物理学の問題にはあまり積極的には用いられてこなかったが,この研究ではそれを量子多体傷跡状態の研究に上手く応用した。
具体的な構成の出発点となるのは,オンサーガー対称性を持つ量子多体系の数理モデル。これ自体は可積分な模型であり,熱的でない固有状態を厳密に書き下すことができる。
この模型に対して,可積分性を破壊するが非熱的な固有状態は残すような摂動を加えることにより,熱平衡化せずに完璧な周期的振動を繰り返す傷跡状態が構成可能であることを示した。
加える摂動は並進対称性を有しない乱れがあるようなものでもよく,そのような乱れに対しても安定な傷跡状態を厳密に構成したのはこの研究が初となる。これにより量子多体傷跡状態がより一般的な状況でも生じうることが分かった。
また,スピン量子数と呼ばれる数を任意の整数もしくは半奇整数にとることができたり,より多くの傷跡状態が現れるようにできたりなど,極めて柔軟に一般化できるという点も従来提案された模型にはない特長となる。
この研究により,今後の量子多体傷跡状態や熱平衡化に関する研究について新たな方向性が開拓され,それらの分野のさらなる発展につながることが期待されるとしている。