名古屋大学は,置換ベンゼンを意のままにつくる新しい合成法を開発した(ニュースリリース)。これは破格の構造多様性をもつ多置換ベンゼンをプログラムされた様式で合成できる手法で,単純でありながらも長年未解決であった「多置換ベンゼン問題」に1つの解答を与えるもの。
ベンゼンに様々な機能を付与する鍵は,ベンゼン環に結合している6つの水素原子を様々な置換基に置き換えることにある。どのような置換基をどのように導入するかによって,置換ベンゼンの性質は大きく変わるため,置換ベンゼンを選択的に合成する手法の開発は化学の発展を支える最重要課題の1つとなってきた。
しかし,多置換ベンゼンの破格の構造多様性と合成化学技術の未熟さのために,多置換ベンゼンを意のままに作り分ける(プログラム合成)ことはできず,これまで「多置換ベンゼン問題」として化学の未解決問題とされてきた。
分子の構造多様性は,対象とする分子群における「置換基の組み合わせから原理的に生成可能な分子数」で評価することができる。例えば,n種類の置換基の組み合わせから考えられる置換ベンゼンの分子数Nは,N=(2n+2n2+4n3+3n4+n6)/12で表され(バーンサイドの定理),理論上は,10種類の置換基の組み合わせからは8万以上の,50種類の置換基の組み合わせからは13億以上の多置換ベンゼンが原理的に生成可能ということになる。
ベンゼンの6つの水素原子を全て芳香族置換基(アリール基)で置換したヘキサアリールベンゼン(HAB:hexaarylbenzene)は,6置換ベンゼンの一種。様々な光電子機能性材料となるばかりでなく,近年ではナノグラフェンの前駆体としても注目を集めている。しかし,前述した選択的合成の難しさから,これまで研究されてきたHABは1~2種類のアリール基で置換された対称性の高いものばかりだった。
特に,6種類の異なるアリール基で置換された「究極のHAB」はこれまで合成・単離されたことがなく,その物性などは未知のままだった。今回,HABのプログラム合成法を開発し,ついにこれを達成した。
プログラム合成とは、合成標的とする有機分子において「全ての対象分子構造を意のままにプログラムされた様式で作り分ける」ことをも可能にする方法論のことで,名大の研究グループによって提唱されてきた概念。しかし,その最終目標とも言えるHABのプログラム合成は困難を極めた。
今回のHAB合成における最大の鍵は「ベンゼン環構築のためにチオフェン環を使う」こと。既に名大の研究グループは2009年に,市販の3-メトキシチオフェンを共通の出発原料に用い,これに対するC-Hカップリングや鈴木-宮浦カップリングなどを順次行なうことによってテトラアリールチオフェンのプログラム合成を達成している。
これは,3-メトキシチオフェンがもつ4つの結合(3つのC-H結合と1つのC-O結合)に対して,カップリング反応を使って結合選択的にアリール基を導入する極めて単純な方法。今回,このようにして合成したテトラアリールチオフェンを酸化させたのちにジアリールアセチレン(Ar-C≡C-Ar)を作用させ加熱すると,[4+2]型の付加環化反応が進行するとともにチオフェン環の硫黄原子が一酸化硫黄として脱離して(この時点でベンゼン環が構築される),HABが合成できることを発見した。
付加環化反応の段階で対称のジアリールアセチレン(Ar5-C≡C-Ar5)を用いれば,5つの異なる置換基をもつHABが合成され,また非対称のジアリールアセチレン(Ar5-C≡C-Ar6,Ar5≠Ar6)を用いれば,6つの異なる置換基をもつHABが合成できる。後者の場合には位置異性体の混合物を与えるが,これらを分離することで,構造的に純粋な6つの異なる置換基をもつHAB(完全非対称HAB)を世界で初めて単離・構造決定することができた。
今回の成果により,これまで検証することができなかった非対称HABの多様な物性が今後明らかになり,様々な機能性材料への応用展開の道がひらけた。例えば,全ての置換基が単純なフェニル基である対称HABは光を吸収しても蛍光を示さないが,合成した一連の非対称HABの中から青~緑の蛍光を示すものが発見された。
ここで明らかになった光物性に及ぼす特異な置換基効果は,非対称HABの機能性材料への応用研究に重要な指針を与えるもの。全く新しい分子群であるため,非対称HABの今後の可能性を正確に予測することはできないが,有機エレクトロニクス材料,ナノグラフェン材料,バイオイメージングプローブなどでの応用が期待されるとしている。
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