理研,「嫌な記憶」と「楽しい記憶」を光で書き換えることに成功

理化学研究所(理研)は,マウスの海馬の特定の神経細胞群を光で操作して「嫌な出来事の記憶」を「楽しい出来事の記憶」にスイッチさせることに成功し,その脳内での神経メカニズムを解明した(ニュースリリース)。この発見は,うつ病患者の心理療法に科学的根拠を与え,将来の医学的療法の開発に寄与することが期待される。

人間の記憶は,周りで起こる出来事がどのように情緒に訴えるかに大きく左右される。例えば,今まで「嫌な出来事の記憶」と結びついていた場所で,楽しい出来事を体験すると,「嫌な出来事の記憶」が薄れて「楽しい出来事の記憶」に代わる場合がある。この記憶の書き換えが脳のどの領域でどのように行なわれるのか,そのメカニズムは明らかではなかった。

記憶は,記憶痕跡(エングラム)と呼ばれる,神経細胞群とそれらのつながりに蓄えられる。研究チームは,海馬と扁桃体という2つの脳領域とそのつながりに蓄えられた「嫌な出来事の記憶」のエングラムが「楽しい出来事の記憶」のエングラムに取って代わられるかどうかを,最先端の光遺伝学を使って調べた。

実験動物のオスのマウスを小部屋に入れ,その脚に弱い電気ショックを与えると,マウスは「この小部屋は怖い所だ」という「嫌な出来事の記憶」を脳内に作る。その際に,活性化する海馬の神経細胞群を,「嫌な出来事の記憶」エングラムとして光感受性タンパク質で標識した。

その後,この標識された細胞群に青い光を照射すると,マウスは怖い経験を思い出してすくむ。しかしこのように処理したオスのマウスの海馬に光を照射しながら,メスのマウスを部屋の中に入れて1時間ほど一緒に遊ばせてやると,今度は「楽しい出来事の記憶」が作られた。

つまり,「嫌な出来事の記憶」に使われた海馬のエングラムをそのまま使って,異性に会えたという「楽しい出来事の記憶」にスイッチすることができるということが証明された。逆に,同様の光遺伝学の方法を用いて,「楽しい出来事の記憶」を「嫌な出来事の記憶」にスイッチさせることも可能だということも示された。

この現象は,単に後から経験する出来事の情緒的側面(嫌いか楽しいか)が,先行する経験のそれに置き替わるということではない。その証拠に,海馬のエングラムのかわりに,脳ネットワークとして海馬の下流にある扁桃体のエングラムを同じように処理した場合,「嫌な出来事の記憶」も「楽しい出来事の記憶」も,それぞれ作り出すことができるが,同じ細胞でそのスイッチは起こらない。

すなわち,扁桃体のエングラム細胞の場合は,一度「嫌な出来事の記憶」に関わると,マウスに楽しいはずの出来事を与えても,「嫌な出来事の記憶」のままであり,逆のケースでは「楽しい出来事の記憶」のままとなる。

うつ病の患者では,嫌な出来事が積み重なり,楽しい出来事を思い出すのが難しい状態になっているケースが多いことが知られているが,海馬と扁桃体のつながりの可塑性の異常が一つの原因になっている可能性が考えられる。研究チームは今回の成果により,うつ病患者の心理療法に科学的根拠を与えると共に,今後の治療法の開発に寄与することが期待されるとしている。

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