西欧では12世紀以降に大学が組織されるようになり,近代的な学問体系も次第に整えられていきました。しかし化学の分野においてはラヴォアジエが現れる18世紀後半までは未だ学問と言えるものではなかったと言われます。今回は,“近代化学の父”として知られるアントワーヌ・ラヴォアジエ(1743-1794)の世界を見てみました。
ラヴォアジエはフランス王国のパリで裕福な家庭で生まれ育っています。父はパリ裁判所の検事をしており,5歳の時に母が亡くなった後に叔母の元で育てられ,父の職を継ぐべくパリ大学で法学を学ぶ傍ら,博物学,鉱物学,天文学,植物学などの教授からの教えも受けていました。
21歳で弁護士試験に合格し,高等法院法学士になる一方で,科学アカデミーの懸賞論文に応募し,『街路照明の効率的な手法』との論文で国王ルイ15世(1710-1774)から金メダルを受けています。ロウソクなどによる光と反射鏡の形状を組み合わせた実験を行い,明るさと燃料消費量の関係を調べ,関連費用までを算出した提案論文でした。又,各地の飲料水を分析し,フランスの鉱物分布図を作成するなどの功績から,25歳の時に科学アカデミー会員に推挙されています。
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