暖かさも増し爽快な気候になり,電車で気軽な旅に…というのもよいものです。唐突ですがそんな電車を駆動する電源を得るための“集電装置”にも大きな変遷がありました。
集電装置と言うよりパンタグラフと言った方が分かり易いですが,その“Pantograph”の語源はギリシア語で“全てを描く”との意味だそうです。製図用の道具で写図や縮図の為に菱形を繋げた“パンタグラフ”と称するリンク機構の写図器がありました(図1)。そんな形状が後に生まれた電車の集電装置に似ていることから付けられたのです。
英国のジェームス・ワット(1736-1819)が1769年に発明した蒸気機関を利用して軌道上で機関車を走らせたのが英国のリチャード・トレシビック(1771-1833)で,1804年のことでした。その後,ヴェルナー・フォン・ジーメンス(1816-1892)が1879年に乗客を乗せた小さな電気列車を走らせます。その時に考案した集電装置は車輪用のレールの間に敷いた“第三軌条方式”と称する第三のレールでした。その後,給電用レールは架線となり,様々な展開を経て現在に至ります。以下,集電装置の開発経緯を追ってみました。
この続きをお読みになりたい方は
読者の方はログインしてください。読者でない方はこちらのフォームから登録を行ってください。