東京大学は,モット絶縁体に高強度のテラヘルツパルスを照射することによって,一定時間安定に存在する,強誘電性の電荷秩序状態を生成することに成功した(ニュースリリース)。
光によって固体の電子相が高速に変化する「光誘起相転移」は,非平衡量子物理学という新しい学問分野の中心課題として盛んに研究されている。
これまで報告されてきた光誘起相転移の多くは,光キャリアの生成をきっかけとして電荷秩序やスピン秩序が融解する現象,すなわち,秩序状態から無秩序状態への変化が引き起こされることによるものだった。一方,光励起によって逆に秩序状態を生成することは難しく,これまでほとんど実現されていなかった。
研究では,時間幅がわずか1ピコ秒であるテラヘルツパルスを利用すれば,物質にほとんど電流を流さずに100kV/cmを遥かに超える強電場を印加することができるため,電場による超高速の強誘電分極の生成が可能であると予想した。
研究グループが注目した有機分子性結晶κ-(ET)2Cu[N(CN)2]Clは,ET分子の二量体が二次元的に配列した構造を持つ。一つの二量体に一つの正孔が存在しているが,二量体内の電子間クーロン反発の効果でモット絶縁体となる。この物質は,二量体内で電荷の偏りが生じ,それが結晶全体で秩序化した状態(電荷秩序状態)への不安定性を持つと予想されている。しかし,明確な実験的証拠は得られていなかった。
テラヘルツパルス照射後の物性の時間変化を,ポンプ-プローブ分光によって測定した結果,テラヘルツパルスによって強誘電性の電荷秩序状態が生成したことが示された。また反射率変化の変化から,40K以下で定常状態においても電荷秩序状態が現れるようになったことが示唆された。
一方、この系と同様の結晶構造を持つκ-(ET)2Cu2(CN)3では,定常状態,および,テラヘルツパルス照射後の状態の両方において,電荷秩序状態が安定に存在できないことが分かった。二つの物質における分子間の反強磁性交換相互作用から,電荷秩序が異なる二量体に属する分子間に働く,反強磁性的相互作用の効果で安定化することが示唆された。
これは,電荷とスピンの間に新しいタイプの相互作用(マルチフェロイック相互作用)が働き,それが強誘電性電荷秩序状態の安定化に重要な役割を果たしていると見なすことができるという。
テラヘルツパルスの電場成分を利用して強誘電状態を生成するこの手法は,光スイッチ等への応用が期待されるものだとしている。