横浜国立大学と物質・材料研究機構らの研究チームは,物質内の電子をテラヘルツ波によって「光速」近くまで加速させ,その質量を2倍以上に大きくすることに成功した(ニュースリリース)。
最近では,超短パルスレーザーを用いた高強度テラヘルツ波の発生方法が確立されたことで,テラヘルツ波照射による物質の状態変化に関する研究が多数報告されている。しかし,これまでに実現されてきたテラヘルツ波誘起の状態変化は非常に小さいものが大半だった。
研究グループは,有効質量が真空中の自由電子の0.001~0.05倍程度である半金属ビスマスの伝導電子に注目して研究を行なってきた。伝導電子の質量が非常に軽いという特徴は,超高速スイッチング素子を実現するための鍵であり,高強度テラヘルツ波の照射により大きな性質の変化が期待できる。
研究グループはビスマスを対象とした研究において,遠赤外領域の透過率がテラヘルツ波の照射強度により大きく異なることを発見した。そして,ビスマス中の電子の質量が照射するテラヘルツ波の強度により変化することがその原因であることを明らかにした。
解析には,ビスマスのもつ特殊なバンド構造の束縛条件を課した運動方程式を用いた。ビスマス内の伝導電子の運動は,特殊相対論で記述される宇宙を運動する物体の運動と類似しており,エネルギーと運動量の関係は双曲線で表される。
この類似性を利用することで,テラヘルツ波の照射によって伝導電子がビスマス内をどのように運動するのか直感的に理解できるようになった。サブピコ秒の周期で振動するテラヘルツ波を利用することで,電子のエネルギーと運動量を時々刻々と追うことが可能となり,ビスマス内の伝導電子は最大で「光速」の89%まで加速されていることがわかった。
ここで言う光速とは,電子がそれ以上速く運動できないという意味での「光速」を指し,ビスマス内では真空中の光速の1000分の1程度の値。特殊相対論に登場する β(物体の速さを光速で除したもの)をビスマス内の電子の運動法則に対応させて定義すると,β=0.89(「光速」の89%)となったことを意味している。
また,ビスマス内の電子の有効質量は,テラヘルツ波を照射しない場合,つまり,電子が静止している場合の質量(静止質量)に比べて,最大で2.4倍にまで増加していることがわかった。
この解析法を利用することの利点のひとつとして,実空間での電子の運動を記述できることが挙げられる。これによると,高強度テラヘルツ波の照射により,ビスマスの面内方向に100nmのオーダーで電子が移動していることがわかった。
また,テラヘルツ波が完全にビスマスを透過した後にも電子はすぐには元の位置に戻らないことがわかった。実空間での運動はこれまでの解析方法(ドルーデ解析)からはわからなかった。
今回の研究で用いた解析法では,電子が集団で同じ運動をするなどという大胆な近似をしており,電子同士に働く反発力などは考慮していない。しかし,厳密な計算によっても,今回の研究で得られた結果と凡そ近いものになるものと考えられるという。
電子の運動を制御するために,いわゆる直流電源を用いる場合には,サブピコ秒という短時間の電圧を電気的に印加することは現在の技術では不可能。また,従来の直流電源を用いて長時間電圧を印加した場合はジュール熱が発生し,試料が変質することが予想される。
今回の研究では,テラヘルツ波のサブピコ秒オーダーの非常に短い時間のみ電圧を印加するため,その発熱の問題を回避できる点も超高速信号処理デバイスとして利用する際には利点となる。また,今回の研究は室温で行なわれた。
超高速スイッチング素子としての実用化を目指し,今後はこの電子の特異な応答をマクロな電流として捉えることを目標に研究を進めていくとしている。
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