東京大学と大阪大学の研究グループは,自閉スペクトラム症者の特異な知覚世界を体験することのできる,ヘッドマウントディスプレイ(HMD)型知覚体験シミュレータを開発した(ニュースリリース)。
知覚過敏や知覚鈍麻として知られる視覚のコントラスト強調や不鮮明化,グレースケール化,ノイズ発生といった症状が,環境からのどのような視聴覚信号によって引き起こされているのか,その過程を世界で初めて計算論的に解析・モデル化した。この成果を応用することで,自閉スペクトラム症者の特異な知覚が彼らの社会性の問題にどのような影響を与えているのかを理解し,自閉スペクトラム症者にとって真に有益な支援法を提案することが期待されるという。
自閉スペクトラム症は,従来,社会的能力の問題と考えられてきたが,近年の認知心理学研究や当事者研究により,その原因が社会性以前の感覚・運動レベルにあることが指摘されている。一般に,人間の脳では感覚器から入力された信号を時空間的に統合することで環境認識や行動決定を行なうが,その統合能力が定型発達者と異なることにより,高次の認知機能である社会的能力に問題が生じたり,知覚過敏や知覚鈍麻などの特異な知覚症状が現れるというもの。
研究グループでは,自閉スペクトラム症者の特異な知覚と社会性の問題にどのような関係があるのかを探るため,まず,特異な知覚が環境からのどのような視聴覚信号によって生み出されるのかを解明した。特異な知覚という主観的な経験を客観的かつ定量的に評価するため,画像・音声処理技術を用いてさまざまな知覚過敏・知覚鈍麻のパターンを画像フィルタとして用意し,自閉スペクトラム症者が日常生活の経験に基づいて,自己の知覚世界を構成的に評価・報告できるシステムを開発した。
これは,自己の経験を内省することが苦手な自閉スペクトラム症者にとって,彼らの経験を具現化し,客観的に評価することを可能にする強力なシステムとなるもの。研究グループは,成人の自閉スペクトラム症者を対象にこのシステムを用いて実験を行ない,知覚過敏や知覚鈍麻として知られる視覚のコントラスト強調や不鮮明化,グレースケール化,ノイズ発生といった症状が,画像の輝度やエッジ量(複雑さを表す量),動き,音の強さと,これらの時間変化という,環境からの低次の視聴覚信号と相関を持つことを明らかにした。
これは,社会性の問題と考えられている自閉スペクトラム症の症状が,社会性以前の低次の感覚・運動情報に起因しているという仮説を支持する一つの可能性を示すもの。
さらに研究グループは,上記の実験結果をもとに自閉スペクトラム症者の知覚世界をリアルタイムで体験することのできる,HMD型知覚体験シミュレータを開発した。
環境からの視聴覚信号をもとに,それと相関をもつことが明らかとなった知覚過敏・知覚鈍麻の症状をHMD上に再現することで,自閉スペクトラム症者が自己の症状を客観的に認識できるだけではなく,定型発達者がその知覚世界を体験し,自閉スペクトラム症者の非定型な知覚が引き起こす社会性の困難さを,主観的に評価することのできるシステムを実現した。これにより,自閉スペクトラム症に対するさらなる理解が可能となるとしている。
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